鉄砲州富士を見る [山に登ろう]
南千住富士を見る [山に登ろう]
めでたく年が明けた某日、友人のS君と散歩をすることになった。
そういえば、新年には面白い所に行こう、面白い事をしよう、と二人で盛り上がるのがここ数年、年末の習いである。
そうやって盛り上がって、あれこれ企画する...新年阿房列車とか暴食奇食体験とか開運不思議ゾーン探訪とか。
...なのに、いざ新年になると、どうも今ひとつ...実は昨年末も盛り上がったのに...うーむ...来年はぜひ。
さて、今回やって来たのは、荒川区南千住にある「素盞雄神社(すさのおじんじゃ)」である。
社伝によれば795(延暦14)年創建で、1995(平成7)年には、創建1200年祭を催した古社。
南千住、三ノ輪、三河島、町屋など、61町にも及ぶ地域の総鎮守で、地域の篤い信仰を集めている。
本殿前には、初詣の長い列が出来ていた。
わたしは喪中だけれど、ここまで来たからにはお詣りしていこうと、列に並んでみる。
お願いはせずにご挨拶だけの参拝だから良いだろう、とそこは甘く考えることにした。
当代島富士に登る 【浦安富士塚巡り その3】 [山に登ろう]
千葉県浦安市は、江戸時代、大都市江戸との交通や物資輸送、また魚介類の供給地として栄えた街だった。
豊かな街には、豊かな町民文化が根付くものであり、町民の中心として、神社もまた立派である。
浦安旧市街には、「浦安三社」と呼ばれる神社があって、いずれも地域の鎮守として町民から篤く信仰されている。
その「浦安三社」には、いずれも境内の中に富士塚があり、昨年秋、わたしと友人のS君は登拝に訪れたのだった。
三基の富士塚のうち、「堀江富士」「猫実富士」を紹介したので、さて、今回は「当代島富士」である。
「当代島富士」は、浦安駅北方、当代島地域の「稲荷神社」境内にある。
旧市街特有の、狭い道を歩いていくと、「稲荷神社」の鳥居が現れた。
まだ新しい鳥居や石垣をの奥には、思いの外広い境内があり、さすがこの地の鎮守と思わせられるのだった。
猫実富士を見る 【浦安富士塚巡り その2】 [山に登ろう]
前回の「堀江富士」からだいぶ間が空いてしまったが、今回は「猫実富士」である。
「猫実富士」は、浦安市猫実、「豊受神社」の境内にある。
「清瀧神社」から歩いて15分ほどか、旧市街特有の細い道を歩き、趣深い街並みを愉しみながら、あっという間だった。
訪れた日は、昨年11月初旬、ちょうど七五三の時期で、お詣りの親子連れが多く、境内は賑わっていた。
「豊受神社」は社伝によれば1157(保元2)年創建、長くこの地の鎮守として栄えた神社である。
境内を取り囲む立派な石垣、そして多くの寄付芳名者は、この地と神社の関係が、現在も緊密であることを伺わせる。
では、境内に入ってみよう。
堀江富士を見る 【浦安富士塚巡り その1】 [山に登ろう]
さて、今回の富士塚登拝は千葉県浦安市、「清瀧神社」境内にある富士塚である。
(※ 記事の題名に、清瀧富士と名前を付けましたが、以前より堀江富士という名前があることを、芙蓉庵さんが教えて下さいました。 芙蓉庵さん、ありがとうございます。そこで、記事の題名を「清瀧富士を見る」から「堀江富士を見る」に変更いたしました。ご了承下さい 3.10夜 追記)
「清瀧神社」は、社伝によれば1196(建久4)年創建の古社。
祭神は大綿積神(おおわたつみのみこと)、海上安全・漁業繁栄の神様で、いかにも浦安に相応しい。
同じ浦安旧市内の、「豊受神社」「稲荷神社」と共に、浦安三社と呼ばれ、浦安の鎮守だそうだ。
その、いずれの神社にも富士塚があって、この日は、その3基の富士塚を見物してきた。
出かけたのは昨年の11月、ずいぶん前の話で恐縮だけれど、どの富士塚も素晴らしいものだった。
写真上は、「清瀧神社」の入口である。
ちょうど七五三の時期で、お詣りの家族連れも多く、交通整理の氏子さんが立っている。
深川八幡富士を見る [山に登ろう]
羽田空港を見物し、カフェで休んでから、わたしと友人のS君はふたたび散歩を続けた。
清澄白河から歩いて15分ほどか、やって来たのは門前仲町の「富岡八幡宮」である。
1627(寛文4)年創建、江戸時代に深川が街として出来上がる頃から、この地の鎮守。
八幡神は、源氏の氏神で、江戸時代は徳川将軍家の信仰も篤かったそうだ。
江戸期には、深川の人々はもちろん、各地から遊山の客も訪れた神社である。
門前の街は、当時江戸でも屈指の繁華街だった。
もちろん、現在も多くの人が参拝する神社である。
堀込富士に登る [山に登ろう]
秋も深まってきた某日、友人のS君と津田沼に行った。
津田沼はJRと京成、新京成と鉄道路線が集まって、駅前は大きなビルも建ち、とても賑やかである。
その駅前から、この日は散歩をすることにした。
駅から歩いて15分ほどか、住宅街を過ぎて、わたしたちは農地が広がる地域にやってきた。
ここだけぽっかりと、そう、縦横500メートル四方ほど...の広い空間である。
その中に、こんもりと木が繁る場所が見えた(写真上)。
あそこに行ってみよう。
長須賀富士に登る 【木更津富士塚巡り その3】 [山に登ろう]
「大寺富士」を見物した後は、小櫃川に沿った道を歩いてみた。
堤防というほどの高さはなく、川がすぐ近くに見える。
ふと気付くと、小雨は上がっていて、西には晴れ間も出てきた。
午後から回復する、という予報は、少し遅れたけれど、当たったみたい。
「大寺富士」から、ゆっくりと歩いて1時間ほど、天気は急速に良くなり、青空が広がってきたのだった。
雨上がりの緑に青空が素晴らしい。
そんな午後を愉しみながら歩いていると、周囲には住宅が多くなってきた。
わたしたちは木更津市域に戻ってきたようだ。
三番目の富士塚はもうすぐ...ちょっと疲れたけれど、そこを目指そう。
大寺富士に登る 【木更津富士塚巡り その2】 [山に登ろう]
「中郷富士」を見物したあと、わたしたちは、次の富士塚を目指して歩き始めた。
この地域は、小櫃川に沿って広がる一面の平地で歩きやすい。
時折り小雨が降る陽気だったけれど、友人と二人他愛のない話しをしながらの散歩は愉しいものだ。
さて、小櫃川は房総半島中央部から始まり、木更津で東京湾に注ぐ川で、木更津市域付近では川幅が広くなる。
流れもゆったりとしていて、川に沿った道を歩いていくと気持ちが良い。
ふと見ると、川に沿って鉄塔が建っていた。
調べたら、「ニッポン放送」の送信所だそうだ。
ラジオ放送も、広く電波を飛ばそうとすると、それなりの施設が必要らしい。
中郷富士を見る 【木更津富士塚巡り その1】 [山に登ろう]
さて、久留里線東清川駅を出て、北へ15分ほど歩くと、中郷という地域である。
一面に広がる田園の中に住宅が点在するところで、典型的な農村地帯。
その広々とした景色の中に、目的の「若宮八幡神社」がある。
となりは「木更津市立中郷中学校」なので、ここは、この地区の真ん中になるのだろうか。
背後にある森も含め、1000坪ほどの境内に簡素な社殿が建っていた(写真上)。
この、いわば村社といった規模の神社に富士塚が存在する。
富士塚は、地域の人々が自分たちの資力で造り上げるものだから、ここは豊かな土地なのだろうと思う。
そういえば、参道脇に立つ狛犬も素晴らしい姿形で、鄙には稀、といいたくなる出来映えなのだった。
(その狛犬については、また稿を改めて紹介することにします)