九段散歩 [くらしの中で]
3月に入って暖かい日があらわれるようになった...と同時に花粉の飛散も最盛期に入ったようである。
これからひと月と少し、30年来お世話になっている耳鼻科の先生処方の薬が頼りだ。
...でも、今年は花粉の飛散量も多いそうで、眼もかゆかったり、いろいろ面倒なことである。
そんな某日、所用があって神田に出かけることになった。
神田は久しぶりで、所用を済ませてから神保町の、馴染みの古書店を素見する...コロナ禍でご無沙汰だったなあ。
神保町を歩いて九段下まで、ここから帰宅しようと思い、でも、見上げると九段の坂上に「靖国神社」が見えた。
九段も靖国神社も、ここ数年というもの訪れることが無かった。
せっかくなので、ここは神社に参拝して行こう、と思い立ったのだった。
九段の坂上に行けば寄りたい店もあることだし。
増毛懐旧 [記憶に残っていること]
写真上は、1970年代の国鉄留萌本線留萌駅である。
構内左側の線路群は留萌港への貨物ヤードそして増毛までの線路で、右は羽幌線のホーム、真中は機関車の車庫。
ご覧の通り広い構内には線路が張り巡らされて、この駅が道北日本海側の主要駅であることが分かる。
ここは留萌市の玄関口であり、加えて港への貨物輸送、さらに日本海に沿って幌延まで141kmもの長い羽幌線の起終点でもあって、
この写真を撮った時代には多くの乗客や貨物がこの駅を使っていたのだった。
留萌市は道北日本海側で唯一といえる良港を抱えた大きな街である。
この街まで鉄道が敷かれたのは1910(明治43)年、付近の石炭や木材、海産物を留萌港まで輸送するのが目的だった。
平成に至り、貨物輸送の廃止など鉄道の需要は次第に低下し、人々の移動はクルマとそして高速バスとなっていく。
最近では、鉄道ファンが乗客の多くを占めるような場合も多く、公共輸送機関としての役割はほぼ失われていたといっていい。
そして、今年2023年3月31日を以て、留萌本線は石狩沼田~留萌が廃止されることになった。
現在は、冒頭の写真のような構内と線路はもはやなく、一本のホームと線路のみが留萌駅には残るだけである。
...なつかしい留萌駅...いまとなっては記憶に残るだけの駅になってしまった。