二人の夏物語 [記憶に残っていること]
写真上は、おそらく1970年代の北海道小樽市のものである。
この時代の小樽は、今のような観光客の集まる街ではなく、観光地として名高い小樽運河もまた現役の姿だった。
上の、運河の東端から撮った写真には、沈んでしまった船があり、また、澱んだ水や堆積した泥が異臭を放っていた。
とてものこと、今のようなきれいな場所ではなかったのである。
...そうではあっても、運河界隈には、北国の港町が醸し出す独特の魅力が漂っていた。
この時期の、賑わいから取り残されたような小樽の街そして運河の風景はわたしを虜にするのだった。
写真から、夏の北国小樽の、静かなそしてなんとなく泥臭い雰囲気を感じていただけるだろうか。
増毛懐旧 [記憶に残っていること]
写真上は、1970年代の国鉄留萌本線留萌駅である。
構内左側の線路群は留萌港への貨物ヤードそして増毛までの線路で、右は羽幌線のホーム、真中は機関車の車庫。
ご覧の通り広い構内には線路が張り巡らされて、この駅が道北日本海側の主要駅であることが分かる。
ここは留萌市の玄関口であり、加えて港への貨物輸送、さらに日本海に沿って幌延まで141kmもの長い羽幌線の起終点でもあって、
この写真を撮った時代には多くの乗客や貨物がこの駅を使っていたのだった。
留萌市は道北日本海側で唯一といえる良港を抱えた大きな街である。
この街まで鉄道が敷かれたのは1910(明治43)年、付近の石炭や木材、海産物を留萌港まで輸送するのが目的だった。
平成に至り、貨物輸送の廃止など鉄道の需要は次第に低下し、人々の移動はクルマとそして高速バスとなっていく。
最近では、鉄道ファンが乗客の多くを占めるような場合も多く、公共輸送機関としての役割はほぼ失われていたといっていい。
そして、今年2023年3月31日を以て、留萌本線は石狩沼田~留萌が廃止されることになった。
現在は、冒頭の写真のような構内と線路はもはやなく、一本のホームと線路のみが留萌駅には残るだけである。
...なつかしい留萌駅...いまとなっては記憶に残るだけの駅になってしまった。
宿酔いの松山 [記憶に残っていること]
さて、冒頭の写真は愛媛県松山市の松山城跡から眺めたものである。
いまから50年ほど前の松山市内と、左隅に小さく、松山市の市内電車が写っている。
...ウッとこみあげてくる、ナニモノカを必死に抑えながら撮った写真だ。
数カ月前になるか...1970年代に広島に出かけて、彼の地の市内電車を見物した時のことを記事にした。
大学を卒業した春先のことで、普通なら就職し新入社員として旅行なんかできないはず、なのだけれど...
...わたしは大学院に進学することが決まっていて、大学院の授業開始までの期間に旅行をしたのだった。
それで、広島で街と市内電車を愉しんで、それから愛媛県の松山に移動した。
当時も、広島宇品港と松山観光港の間には航路があって、急ぎには水中翼船、のんびりと旅を愉しみたければフェリーを使えた。
もちろんわたしはフェリーに乗って、瀬戸内海の景色を眺めつつ...2時間だったかで、無事松山観光港に着いたのだった。
昔々冬の小樽で [記憶に残っていること]
冒頭の写真は昔々、そう、1970年代中葉の北海道・小樽市の運河であります。
その頃はまだ、小樽運河周辺は荷役倉庫が立ち並ぶ地域で、写真の倉庫もまだ現役なのだった。
そして運河に浮かぶ漁船や北海道警察の監視船、荷役船もまた現役で忙しく働いていた。
冬の小樽は雪が多く、また天気も変わりやすい。
カメラを手に小樽の街を歩いていると、晴れたかと思うと強い雪が降ったりして、その目まぐるしさも小樽の特徴だった。
冒頭の光景は今でも同じように見ることが出来、それは、小樽を代表する景色である。
その運河沿いの倉庫群は、しかし、一歩裏に回ると、その優美な姿を、働く姿に変えるのだった。
よいお年をお迎えください [記憶に残っていること]
上の写真は1975年12月または翌年の2月に訪れた北海道小樽市である。
わたしはこの時期、小樽に魅せられ、街を歩き回っては写真を撮っていた。
訪れたときは雪が多く、運河界隈を歩いていると、吹雪まがいの、まわり一面真っ白になることもあった。
そういった天候は、しかし、とても印象的な写真が撮れるわけで、わたしはむしろ欣喜雀躍して歩いていた。
このときのカメラはニコンF、降りしきる雪、氷点下の気温にも全く動ぜず、平然と動き続けるのだった。
それはもはやカメラという機械ではなく、相棒という擬人化にも似た感覚をもたらすものであり...
...この時以来、わたしはこのニコンFを身のまわりから離したことはない。
フィルムを入れなくとも、ただシャッターを切るだけで、様々な思い出が蘇ってきて、時間を忘れさせてくれる。
◇ ◇ ◇
今年はコロナ騒ぎで、どこにも行けず、都内引きこもりの日々であります。
夏ころには、冬になったらこの騒ぎも収束し、雪の北海道に行けるかな、と淡い期待もあったのですが、
事態はより一層冷厳で、もはやそのような期待を持つことも適わないように思えます。
それでも、今まで終わらない災害は無かったそうですから、いずれはこの騒ぎも収まるのでしょう。
それまで我慢...と、冬の小樽の写真を眺める日々であります。
さて、今年一年、拙ブログにおいでいただき、ありがとうございます。
記事といえば昨年以前の話題ばかりだったり、突然通信遮断だったりで、思うようにはいかない一年でした。
それでも、皆さんからのコメントやniceは本当にうれしく、力づけられました。
来年は穏やかな日々が戻ってきますように、と願いを込めて、「わたしのあしあと」を閉じたいと思います。
2020.12 ナツパパ拝
※ すみません、年末多忙につき、niceコメント欄は閉じさせていただきました。
オランダからの縁(えにし) [記憶に残っていること]
以前の記事で、夏に盛岡に行った話をしたのだが、その後、わたしたちは山形県の庄内地方にも寄ったのだった。
妻の実家は札幌だけれど、数代前のご先祖は庄内から北海道に移住したそうで、付合いのある親戚も多いとか。
親戚には立ち寄らずとも、先祖が出た街を見てみたい、と妻が言う。
そこで、先ずはその街を見てから、庄内地方の主邑(...のひとつ)酒田市に寄ったのだった。
酒田は港町で、江戸時代は西廻り航路の始発点、とても栄えた街だった。
今でも大変にぎやかで見どころの多い街...わたしたちは市内を見物し、満足して...さて。
やって来たのは、写真上の場所であります。
いかにも工場地帯といった風情の場所で、立ち寄った建物も工場そのものといった佇まい。
それもそのはずで、ここは「酒田米菓」というお菓子屋さんの工場なのである。
街歩きがしたいなあ それから [記憶に残っていること]
前稿で、2018年4月の街歩きを記事にしたのだけれど、その続きがあった。
この日は、友人のS君と二人、東急電鉄ワンデーチケットを買っていたのだった。
普段の街歩きでは、中目黒や祐天寺界隈を歩いたらそこで解散、となるのだけれど、根が吝嗇なオヤジだから、
ワンデーチケットをもっと使おうとしたらしい。
残った写真を見ると、自由が丘を経由して横浜まで行っているのだった。
写真上はその折のもので、東急東横線東白楽駅である。
せっかく東急線の駅なのだから東急の電車を撮ればいいのに、よりによって西武鉄道とは。
...もうすでに疲れ気味だったのかもしれない。
ところで、写真の電車は、西武線のどこかから副都心線を経由して横浜方面に向かう列車。
その横浜方面を見ると、線路が下っているのが見える...それこそが、ここで下りた理由であります。
街歩きがしたいなあ [記憶に残っていること]
8月に入ったら、過去の写真からの記事をやめて、2020年の話にしよう、と思っていた。
それで、前の2つの記事は、8月に入ってからの話をしたのだった...けれど...
...なにしろ、わたしの住む東京ではコロナ罹患者の数が一向に減らず...外歩きも剣呑で...
...また、住んでいる練馬区は東京23区内でも別格の暑い土地で...仕方なく引きこもり生活である。
それでもね、近所にある「としまえん」が8月いっぱいで閉園というので、正門の前までは行ってみたんですよ。
そうしたら、入園には事前予約の看板が...やんぬるかな。
それで、今回の記事は、2年前の街歩きからの写真と文章であります。
写真を眺めていると、このころは平和だったなあ、とつくづく思うわけです。
...あ、写真上は東急東横線祐天寺駅で、手にしているのは東急のワンデーチケットとパンフレットですね。
眺めを愉しむ [記憶に残っていること]
2019年3月末、所用があって島根県に旅をした。
2泊3日のうち、最初の一日目、出雲大社にお参りした話は記事にしたのだけれど、その後が続かず。
忸怩たる思いでいたところ、今回松江城に行った話を記事にしようと思い立った。
松江城に行ったのは旅の最終日、これで旅のことを締めくくれるなあ、と思ったりもする。
旅の途中には、いろいろなところに行ったのだが、まあそれは、いつか思い立ったらまたということで。
さて旅行の最終日、宍道湖畔の宿で朝を迎え、この日は松江市内観光をするつもりである。
松江は古くからの城下町で、様々な名所名物があるうえ、美味しいものも豊富なところと聞く。
美味しいものは昼ごはんに取っておいて、先ずは松江のシンボル、松江城に行こうと思う。
この春は気温が低かったものか、松江城内では、桜花の花見にかけて「お城まつり」が開かれていたものの、
肝心の桜はまだ一分咲きで、それがなんとも惜しいことだった。
松江城は小高い丘に作られたお城で、入口から天守が見えるが、あそこまで登らなければならない。
途中は階段が続いて、けっこう大変なのだった。
禁断の過去を覗いてみる [記憶に残っていること]
さて、いきなりすごいタイトルにしちゃったけれど、禁断の過去?は、続きのあとで覗きます(笑)
ところで、上の写真は、文京区小石川にある「東京大学付属植物園」で撮ったもの。
ちょうど3年前の今頃、馴染みのO先生M先生Kさんと4人で、見物に出かけた折のものである。
わたし以外のお三方は学校の先生で、理科部の所属なので、植物がお好きでとても詳しい。
小石川の植物園に行くので一緒にいかが?と誘われ、喜んでついてきたのだった。
...こうやって過去の写真を掘り起こしていると、3年前にあちこちでかけていたことに驚く。
このころは元気だったのだなあ。
園内を歩き回って、お休み処に着いたら、この日は休みだったのを思い出した。
それで、恨みがましく、店の案内看板なんかを撮っていた。
...いろいろあってそそられる...植物園特製のど飴なんか、今でも欲しいくらいだ。