川和富士に登る [山に登ろう]
すこし前のことになるけれど、友人のS君と、久しぶりに富士塚見物に出かけた。
訪れたのは、横浜市都筑区富士見が丘にある「川和富士」である。
ここは、同じ都筑区に存在する「池辺富士」「山田富士」と並んで都筑3富士と呼ばれている。
「川和富士」は、別の場所で江戸末期に築造された富士塚を、港北ニュータウン開発の際、この地に再建したもの。
都筑という地域には以前、7カ所の富士塚があったそうだが、港北ニュータウンの開発で上記の3カ所に減ってしまった。
昔から続く地域の繋がりも、大きな開発のうねりに呑み込まれてしまったのだろう。
それでもこうやって「川和富士」を再建し、地域のランドマークとして扱う姿勢は素晴らしいと思う。
「川和富士」は、見ての通りスッキリとした山容で、富士山型の姿がとても良い。
広々とした公園もまた、この富士塚によく似合っていると思う。
流山富士に登る [山に登ろう]
流山の旧市街は、江戸川そして流山街道に沿って、南北に延びている。
「流山富士」はその中ほど、旧市街の中心地あり、今回はそこに登ってみようと思う。
4月に入ってすぐの休日、友人のS君と二人、流山街道を北上してきて、街道脇に「浅間神社」をみつけた。
神社の入口は7~8㍍ほどの幅でさほど広くはない...が、奥行きがありそうだ。
境内には、手水舎、神楽殿、そして社務所と並び、奥に本殿が建っている。
目指す富士塚は本殿のさらに奥、ここからでは見ることができない。
下練馬富士に登る [山に登ろう]
さて、今回目指す「下練馬富士」は、東武東上線東武練馬駅から歩いて5分ほど、賑やかな商店街の中にある。
この商店街は旧川越街道で、富士塚のある界隈は江戸時代まで、下練馬宿という、川越街道の宿場町なのだった。
富士塚のある「浅間神社」は、川越街道に面していて、広場の向こうに神社の社殿が見える。
入口の、石造りの鳥居には、「富士嶽神社」の額がかかっていた。
さあ、鳥居をくぐって、神社に向かおう。
居木富士を見る [山に登ろう]
8月中はブログを休み、暑いの肌寒いの...なんのかんのと言いながら過ごしていた。
9月に入ったらブログを再開しようと考えたのだが、さて、じつは記事にするような話がない。
普通、再開にあたっては、お休みの間ここに行きました...なんて記事になるのだけれど、どこにも行かなかったし。
それでも暢気に構えていたら、下旬になっていよいよ追い詰められてしまい、そこで、友人のS君に連絡をした。
「 S君や、そろそろブログを始めようと思うんだけど、記事がない 」
「 えっ...それは自分で考えなさいよ 」
「 考えても出てきそうにない...なんかないだろうか 」
「 うーん...仕方ないなあ...じゃあ富士塚なんかどうですか 」
「 おっ、良いね。 でもこの暑さだ、いつものように散歩したら熱中症になりかねんぞ 」
「 ...... 」
「 そうだ、駅から近くて、登らなくても良い富士塚って無いもんだろうか...あ、それから日陰があると嬉しい 」
「 ...ったく、このオヤジったら...言いたい放題なんだから 」
「 すまんね。 で、あるかい、そういう富士塚 」
「 ...ありますよ、ピッタリのが 」
そこで先日の日曜、S君といっしょに、その富士塚を見物することになった。
境富士に登る [山に登ろう]
「境富士」とは、東京西郊の武蔵境にある富士塚のことである。
中央線武蔵境駅南口から歩いて10分程か、「杵築大社」という大きな神社の境内に造られている。
まず、「杵築大社」にお詣りしよう。
「杵築大社」は、武蔵境...以前の境本村の氏神で、350年以上前にこの地に建立された。
境本村はその時出雲藩主・松平直政の鷹狩場で、御用屋敷内に「杵築神社」...今の「出雲大社」を勧請したのだった。
その神社が時代を経て今に続いているのである。
道路からは、立派な燈籠と鳥居、そして奥には狛犬が鎮座しているのが見えた。
宗岡富士に登る [山に登ろう]
ちょっと間があいてしまったが、5月はじめ、友人のS君と埼玉県志木市を散歩したときの続きを。
志木市の市域を西から東に、散歩を続けたわたしたちは、最後の目的地、宗岡地区までやって来た。
宗岡地区には、浅間神社と富士塚があり、ぜひ参拝と登拝をしたい、と思ってのことである。
ここはもう志木市の東端というあたり、旧街道沿いに、目指す「浅間神社」があった(写真上)。
「羽根倉ノ浅間神社」という名前のこの神社は、社伝によれば1183(建久4)年創建の歴史あるお社である。
境内の背後はもう荒川の堤防...浅間神社も、荒川河川改修などにより、2度の遷座を経てこの地にあるのだそうだ。
田子山富士を見る [山に登ろう]
連休中の某日、友人のS君と一緒に富士山見物に出かけた。
今回は、埼玉県志木市...ここ20年程か、東京のベッドタウンとして、住宅街の開発が進んだ街である。
駅前からは洒落た商店街が続いているが、元々は、江戸時代、新河岸川の水運で栄えた宿場町だった。
そのため、江戸時代からの遺構や、神社仏閣なども多くあり、散歩していて見所の多い地域なのである。
昔からの街並みを歩いて、少し外れたところに、今回目指す、「田子山富士」があった。
入口には立派な看板も掛かり、大切にされていることが伺える(写真上)。
S君のあしあと [山に登ろう]
友人のS君と二人、神奈川県横浜市都筑区にある「山田富士」に行ったのは、3月下旬だから、もう半月も前になる。
その時の探訪記は少し前に記したけれど、まだ寒い時期だった。
「山田富士」の周りには桜の木がたくさん植えられていたものの、まだまだ蕾も固く...
...これらの桜に花が咲いたらきれいだろう、と想像するしかなかったのだった。
ところで、この前の土日は、あちこちで桜が満開で、わたしも近所できれいな桜を見物していた。
日曜日の夕方、S君からメールが入り、「山田富士」に行って桜を見てきましたよ、という。
写真を撮ったので送ります、とも書かれていて、PCで見てみたら、桜満開の「山田富士」と公園が写っていたのだった。
桜花と、そこに集う皆さんがとても素敵で、今回はS君が送ってくれた写真を見ながら記事にしようと思う。
山田富士に登る [山に登ろう]
写真上は、「山田富士公園」である。
ちょうど晴れて気持ちの良い休日、近くの親子連れで、公園は賑やかだった。
さて、「山田富士」の山田は地名で、詳しく言うと、神奈川県横浜市都筑区北山田、となる。
横浜市営地下鉄グリーンライン北山田駅を下りてすぐ、回りは画に描いたようなニュータウンの家並みが広がっていた。
しっかりと計画された街並み、道路、そして点在する公園...人工的な景観の中で、この公園だけが以前の景色を残す。
写真上の山は、太子堂山という名前で、開発前には、周囲皆こういった里山だったらしい。
この太子堂山の、写真左側尾根の向こうに、「山田富士」がある。
清瀬・中里富士に登る 追記あり [山に登ろう]
東村山での散歩を続けようと思う。
東村山で念願の冊子を手に入れ、富士塚を見物したあと、わたしと友人のS君は、隣の清瀬市へ散歩を続けた。
東村山からは「府中街道」「志木街道」を歩き、さらに空堀川に沿って6㎞ほど、約2時間の散歩だった。
途中は武蔵野の面影を残す景色...畑と林、そして家並み...あちこちで写真を撮ったりするので時間が掛かるのだ。
そうやってたどり着いたところは、清瀬市中里にある、「清瀬・中里富士」である(写真上)。