京都で2時間 [旅行中 国内編]
この春、大先輩にあたる方に慶事があった。
もう30年以上も前、若かったわたしは、その方に様々なことを教わったのだった。
今に至る仕事で、わたしがなんとかやってこられたのも、大先輩の薫陶によるところがとても大きいのである。
その大先輩は現役を終えられたあと、故郷の大阪近郊に戻り、嬉しいことに、今でもお元気で活躍中。
慶事に際しては、大袈裟なことをせず身内で祝いを、とのご意向が伝えられたので、その際には、お祝いのために
わざわざ東京から伺うことはしなかった。
...が、そろそろよかろう、と、恐る恐る電話をしてみると、よろしければいらっしゃい、とのお返事。
そこで同業の友人共々大阪に行くことになったのだった。
先輩にお目に掛かるのは午後、すると、早めの新幹線で行けば、京都で少し時間がとれることに気付いた。
それで、友人たちとは別の新幹線に乗り、10時前に京都駅に到着したのだった。
京都で過ごせるのは2時間...
京都駅からタクシーに乗り、着いたのは東山にある「大谷廟」である。
我が家は代々浄土真宗の門徒で、真宗大谷派、いわゆる西本願寺系列に属している。
「大谷廟」は、その大谷派の廟所で、宗祖親鸞聖人の墓もここに置かれていて、以前は本願寺のあった場所だとか。
清水寺への参道脇から、石畳の参道が境内に続いていた。
ここにお詣りするのはひさしぶり...その石畳と坂道が懐かしい。
この日は夏本番といった陽気で、京都も暑かった。
青い空と白い雲、そして、むせかえるような気温のなか、すっと風が吹いて一時涼しくなる...
...そんな境内をゆっくりと歩いていくと、昔と変わらぬ建物が現れるのだった。
五条坂脇の入口から参道を登り、山門や本堂を過ぎると、奥は広い広い空間になっている。
...本当に気持ちの良い空間。
そして、その先には、コンクリート造りの無量寿堂と和風の明著堂が建っていた。
ここもまた、以前と変わらぬ風景である。
境内脇の門を抜けると店があって、花と線香を買うことが出来る。
ここにお詣りするときは、いつもそうやって、花と線香を買い求め、手向けてきた...今回も同じように。
明著堂の前には、午前中にも拘わらず、そんな花束が多く置かれ、参拝者の多さが実感できた。
...ひさしぶりにきましたよ。
写真上、明著堂が参拝所で、親鸞聖人の墓所はその奥にある。
大谷派の門徒は、「大谷廟」に納骨することが出来、「祖壇納骨」では、親鸞聖人の墓所近くに納骨される。
もう40年以上も前、祖父が亡くなった折、親戚が相談して、祖父の遺骨を分骨し、ここに納骨した。
それ以来、毎年一度は、この「大谷廟」に参拝してきた。
...40年ちかく前、わたしが大学生だった頃は一人で、その後は両親と一緒に、結婚してからは夫婦で...
...息子が生まれてからは3人、もしくは両親と一緒に5人で...
ここ数年は様々な出来事が重なり、さらに、両親の、足腰や気力の衰えなどもあって来ることができなかった。
今回、思い立って訪れてみると、変わらぬ景色が、却って、今までのあれこれを思い出させてくれたのだった。
その、今までのあれこれと、今の両親と...それを思うと、ちょっと寂しい。
さて、ここに来たら、「じぃちゃんよ、来たぜ」と、心の内で声をかけるのがいつもの習慣。
それから、もうここへは来ることができないけれど、どうか父を母を、見守っていて下さい、と。
どうか、お願いします。
木陰のベンチに座り、気がつけば小一時間...そろそろ行かなければ。
じゃぁ、じぃちゃん、また来るからね。
みなさまへ
いつもいつも、拙ブログにおいで下さり、ありがとうございます。
前回の記事からずいぶん間が空いてしまいました。
このところ、忙しい状態が続いていて、ブログの更新、また、みなさまのところに伺うことも
なかなか出来ない日々が続いています。
今回は、ふと時間が出来て、記事を作ることが出来、嬉しいことでした。
さいわい、この忙しさも先が見えてきたようです。
近いうちにまた、「わたしのあしあと」を通常運転でお目に掛かりたいと思っておりますが、
今回は、遺憾ながら、nice&コメント覧は閉じさせて頂くことにいたしました。