台北城北門で [旅行中 海外編]
台北滞在4日目朝、今回の旅行はこの日で帰国なので、見物は午前中の数時間となってしまった。
さてどこに行こう、と相談の結果、先ずは近いところから、ということに。
ホテルから歩いて数分、交通繁多のロータリーに出て、その中を見ると由緒ありげな建物が見えた(写真上)。
この建物は台北城の北門で、以前は、左右に城壁が連なっていたのだが、ずっと昔に取り払われてしまい、
今は広いロータリーの中でポツンと佇んでいるかのようだ。
現在は中華民国の一級古蹟となっている貴重な建物、近くにいって見物してみよう。
台湾は元々台南が中心で、台北は清朝時代になってからも、地域交易の中心地、という程度の街だった。
ところが1871年、清朝が琉球の宗主権を失って、琉球が日本領となり、台湾は日本と国境を接することになった。
そのことに危機感を抱いた清朝は、台湾を中国防衛の前線として捉え、台北に城を築いたのである。
3年間に渉る工事の末、1884年に完成した台北城の城壁は周囲4.6㎞、5カ所の門を持つ規模になった。
この北門はそのうちの一つで、当時の遺構を伝える貴重な建物である。
周囲5キロ近い城壁は高さ5メートルあったそうで、それはそれで大きな規模と思うのだが、中国本土の城壁と比べると
いささかこぢんまりとした印象を受けてしまう。
ところで、写真上は、北京西郊「路溝橋」脇にある街の城壁と城門である。
小さな街の城門だが、それでもここまでの高さと規模があって、台北の城門とは比較にならない。
小ぶりな北門は、見たところ可愛らしくも感じられるものの、本格的な戦闘は想定していなかったのではないか。
中国の場合、城の正門は南にある門が慣例だが、台北ではここ北門が正門となっている。
正式には「承恩門」という名前、清国皇帝の恩を受ける、という意味だとか。
1884年に完成した台北城は、日本統治開始後、1904年に城壁など大部分が破却された。
4カ所の城門は残されたものの、3カ所の門は1965年、民国政府によって改築されてしまい、
台北城があった時代の、福建様式を残すのは北門だけである。
北門の脇に、ふと見ると石造りの碑が、同じように石造りの石柱に囲まれて置かれていた。
なにか大切な石碑であろうか、と近くに寄ってみた。
この石柱は水準点である。
水準点という名前をお聞きになった方も多いだろうと思う。
三角点と同様、測量に必要な標識である。
三角点が位置を測るのに対して、水準点は高さを測る時に使われる。
台湾では清朝時代にも測量は行われていたが、日本統治時代に入り、近代的な測量を実施することになった。
1903(明治36)年、まず高雄、基隆に験潮場を設置、その後水準点が台湾各地に設置されていった。
すべての基準となる「元水準点」は基隆にあって、その他水準点は、台湾全土で160地点に設置されているそうである。
北門脇の水準点は、台湾総督府によって、この時代に設置されたものだろう。
石碑の表は「水準点」の文字、裏側には「9536号」の番号は彫られていた。
この番号がなにを意味するのか不明ながら、台湾の近代化に欠かせない役割を負ったこの水準点が、
未だにこうやって大切に管理され、実際に見ることができて大変勉強になったのだった。
台北城北門を、城外にあたる場所から覗いてみた(写真上)。
小ぶりとはいえ、3階建てのビルに相当する北門の通路は天井が高かった。
しかし幅は狭く、人が5人並ぶとぎりぎりだろうし...馬車のすれ違いもムリだろう。
やはり城門は守りのためのもので、人々の移動や物資の運搬にとっては邪魔者以外のナニモノでもない。
台湾を統治し始めた総督府が、すぐに城壁を取り壊したのは当然のことだったと思う。
街の周りに城壁を持つ伝統の無かった日本人なら、城壁の破却にも抵抗はなかっただろう。
そっか~総督府は城壁を壊しちゃったのですね。
それが台湾にとっては後々よかったのかな。どうなのかな。
ドイツにとって城壁を壊すっていうのは、大阪城の堀を埋めるようなイメージですねえ・・・
大きな町はドイツでも城壁を取り壊しちゃったところが結構ありますが(爆撃されて無くなったということもありますし)、小さな町ほど今でも立派な城壁と城門があって、その外に駐車場があったりするんですよ。そして城壁の中は道もがたがたの古い石畳のままだったり。人々の移動や物資の運搬にも未だ対応してないですねえ。
それが欧州きっての先進国なのだから、なんだか不思議です。
by めぎ (2012-03-24 09:55)
めぎさん。
これはおそらく、その地に住む人々の伝統と深く関わりがあることと思うんですよね。
中国人にとって、外敵から身を守る城壁は、産まれたときから親しく身の回りにあるもので、
いきなりそれを破却してしまうことは、先ず心理的に大きな抵抗があるでしょう。
ドイツでも、昔からの暮らしや景観を守ること、そして城壁の持つ安心感、それらが綯い交ぜになって
城壁や旧市街への愛着があるのかもしれません..これはあくまでわたしの想像ですけれど。
総督府で行政に当たった日本人には城壁への愛着や親近感はなかったでしょうから、
不便となれば取り壊しへ動くのも分かる気がしますねえ。
ただ、台北の街を見ると、その後大きく発展しましたので、城壁取り壊しは良かったかもしれません。
中国本土でも人民共和国になってからずいぶん城壁を壊しています。
...あ、これは、外敵からは人民軍が守る、という政治的意図もあってのことだそうですが。
by ナツパパ (2012-03-24 10:11)
マチャさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 10:11)
その土地の人の大事にしているものを壊してはいけないと思います。
が、台湾と日本…今のところ、仲がよいのが救いだなあと思います。
by HIROMI (2012-03-24 10:25)
今でもそうですが、他国の民衆が何を大事にしているかと言うのを理解しようとしないから軋轢が生まれる・・・と思うのですが。
そこから新しい何かが生まれるのかもしれませんが、当時としては地元の風習等を考えることなどしなかったのでしょうね。仕方がない時代だったのかもしれませんが・・・。
歴史あるものを平気で壊せる感覚が怖いですね。
by アルマ (2012-03-24 10:37)
HIROMIさん。
たしかにその通りだと思いますねえ。
住んでいる方々の気持ちというか暮らしというか、それが先ず第一だと思います。
明治からここまで、日本は急ぎすぎたのでしょうね。
総督府の官僚も、明治の元気いっぱいの人々でしょうから、邪魔なものは壊してしまえ、と。
その姿が想像できるようです。
...ただ、台北で言うなら、城壁があったのは20年くらいの間でしてね、その前は
城壁など、なにも無い街だったのでした。
ですから、住民にも心理的な抵抗は少なかったと思いますし、それが救いでしょうか。
by ナツパパ (2012-03-24 10:38)
駅員3さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 10:39)
アルマさん。
植民地支配の悲劇はそのあたりから始まるのかもしれませんね。
価値観の違う人々が権力を握って土地を支配する。
...よしんばその人々に、近代化などの善意があったとしても、土地に住む人々の
意識と離れてしまうと、お互いに敵意が産まれるのでしょうね。
正義、正義感、そして善意...今でも様々に禍根を残す感情ですね。
by ナツパパ (2012-03-24 10:43)
台湾の近代化に大きく寄与したとはいえ、古いものを破壊するのは……残念ですね
by 駅員3 (2012-03-24 11:11)
こんにちは。
>本格的な戦闘は想定していなかったのではないか…
大型の飛び道具が主になって来た当時に城壁って時代錯誤的な防衛手段だと判って居ても、伝統で造って仕舞ったんでしょうね?
でも、古いモノって色が良いですね!
by musselwhite (2012-03-24 11:15)
守るという考えから、攻めるはあまりないのかしら?
城壁にかこまれた中で、一つの暮らしが成り立っていたのでしょうね。
壊された時、不安な気持にならなったのでしょうか?解放されたきもちもすこしはあったのかな?
by engrid (2012-03-24 11:26)
台北の城門は少し小さかったですね。城壁は台湾南部に行くと残されているところもあります。こんどまた台湾南部をご一緒に旅行しましょう。
by Oです (2012-03-24 11:27)
北京も城壁がなくなっていますね。ウイーンは城壁を壊してそこにリングの路面電車がはしって便利になりましたが、ローテンブルクのように城壁を観光資源にしている所もあったりしてそれぞれですねぇ。
戦争から街を護るという役割での城壁が必要なくなったということはいいことですね。尤も現代では城壁があっても爆弾は空から降ってきますが…
by gillman (2012-03-24 12:28)
今ある歴史を大事にしないといけませんね。
by なかせ (2012-03-24 12:54)
前回のコメントでも書いたのですが、台湾未体験の私にはこうした旅行記は
とても楽しめますね。今回はやたらと勉強になる内容でしたし^^
旅行記ブログっていいですね。ホントは自分で行くのが一番でしょうけど^^;
by kotodaddy (2012-03-24 13:11)
千と千尋・・思い出してしまいました~♪
すっかり台湾旅行をした気になってます(^-^;
by ぱぱくま (2012-03-24 13:41)
ナツパパさん、こんにちは。
旭川の陶芸家、工藤和彦君の個展の日程と概要が
わかりました。下記のとおりです。
【東京/お茶の水】工藤和彦個展・4月19日〜25日 ギャラリートライおちゃのみず(東京都千代田区神田駿河台3-5)TEL 03-3291-5811 新作のシラカバホワイトや緑粉引のマグカップやポットなど「ホットひといき」をテーマにしていますhttp://blog.kazuhiko-kudo.com/?eid=105
お散歩がてら、お出掛けください。
私の昨日のブログのコメント欄にも貼りましたが、
一応、念のため、お知らせいたします。
by MORIHANA (2012-03-24 15:54)
城壁があった頃の内側と外側の景色って、どんなだったんでしょうね?
by YAP (2012-03-24 19:15)
musselwhiteさん。
城を造る、と決めた段階で、昔ながらの中国風城郭になったのでしょうね。
周囲5キロ、1.4平方キロの面積はけっこう広いなあ、と思います。
今の台北市域から見ると、中心のほんの狭い区域なんですがね。
by ナツパパ (2012-03-24 19:47)
駅員3さん。
そうですね、今から思えば残しても良かったのでは、という感じがします。
ただ、当時の行政官にとっては、台北発展の障害だったのかもしれません。
総督府時代になって、台北は台湾経営の拠点になり、大発展しましたから。
目障りだったのかもしれませんね。
by ナツパパ (2012-03-24 19:50)
engridさん。
中国の城郭は、域内に街がありますから、どうしても規模が大きくなります。
籠城を前提として計画されたと思いますねえ。
多くの軍人が籠城していれば、そこから反撃することも出来ますから、軍事拠点としても
城郭は有効なのかもしれませんね。
台北市の場合は、城郭のあった期間は20年間でしか無く、その前も後もこの街には
城壁はありませんでした。
案外、元に戻った、という感じだったかもしれませんよ。
by ナツパパ (2012-03-24 19:54)
O先生。
あ、台湾南部の城郭、見てみたいなあ。
ぜひごいっしょさせてください。
その時は高鐵利用で(笑)
水準点もきちんと残っていて驚きましたね。
ひょっとしたら、この水準点が台北市の高さの基準なのかもしれません。
そこの所を調べても資料が出てこず、曖昧になってしまい残念です。
by ナツパパ (2012-03-24 19:58)
zuckyさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 19:58)
gillmanさん。
昔から続く街は城壁の存在した時期があって、それは洋の東西を問わずですね。
で、今でも残っている街、とっくに破却されてしまった街、様々ですが、大都市ほど
城壁がない、という印象があります。
やはり城壁、そして城門は交通の妨げになってしまうのでしょうか。
中国の大都市で城壁が残るのは西安だけ、という話も聞きます。
中国政府からの指導に逆らって残したのだそうですが、今では彼の地の名所となっていました。
ただし、自動車の通行のため城壁に何カ所も穴を開け、道路を造っていましたねえ。
by ナツパパ (2012-03-24 20:03)
なかせさん。
そうですね、昔からのものは大切にしたいですよね。
台北に残る昔の城門は4カ所、そのうち3カ所までは中国でも北方形式に改築されました。
北門は石積みの上に赤い建物が乗っていますが、他はちょうどソウルの南大門のように
いかにも中国風の建物が乗る形式になってしまいました。
オリジナルで残るのは、この北門だけなのだそうです。
by ナツパパ (2012-03-24 20:07)
可愛い門だと思いましたがしっかり歴史の背景もあったのですね?
残ってるのは門だけでもしっかり保存されてるようで
貴重な建物ですね。
by 響 (2012-03-24 20:07)
comomonさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:07)
ぱぱくまさん。
あ、そういえば、千と千尋に出てくる建物に似た雰囲気ですねえ。
シンプルな建物ですが、屋根など中国風で、なかなか良い建物だなあと思います。
全体的に軽やかな感じは、やはり南方の建物だからかもしれませんね。
by ナツパパ (2012-03-24 20:09)
kotodaddyさん。
愉しんでいただけ、本当に嬉しいです。
わたし自身、台湾を旅行して愉しかったですねえ。
台湾は、人が優しく、笑顔がふっと出てくるところ...こちらも優しい気持ちになれました。
今回は予備知識も無く、いわば出たとこ勝負みたいな旅行になりました。
そのドタバタ感も含めてこの記事を楽しんでいただけたら、これに勝る喜びはありません。
あと一回、ドタバタ台湾紀行、どうかお付き合い下さいね。
by ナツパパ (2012-03-24 20:14)
ヨタ8さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:15)
mwainfoさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:15)
MORIHANAさん。
お知らせ、ありがとうございます。
ぜひ出かけたいと思っています。
マグカップやポット、ですか...もうわたしのストライクゾーン、真ん中です。
うう、今から楽しみです。
by ナツパパ (2012-03-24 20:18)
ENOさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:19)
sun-highさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:20)
ソニックマイヅルさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:20)
BLIYちゃん さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:21)
YAPさん。
城が造られた頃、台北はごく小さな街だったそうですね。
先日記事にしました「龍山寺」界隈とあと一カ所に街があって、それ以外は畑か荒れ地だった
と調べた記録に書いてありました。
城内でもそうですから、城外は畑がほとんどだったのではないでしょうか。
台湾防衛という目的があったので、その時あった街を大拡張して、大きな城を
造ったのかもしれませんね。
by ナツパパ (2012-03-24 20:25)
ブラザーボブかきもとさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:26)
vanilla_beansさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:26)
響さん。
こうやって昔の遺構が残されているのは、ありがたいことと思います。
街の歴史を伝える貴重な存在ですからね。
無くしてしまえば文献で残るだけ、それでは今ひとつ実感が湧きませんし。
門だけでも残って本当に良かったなあ、と思います。
by ナツパパ (2012-03-24 20:29)
やまさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-24 20:29)
日本ならば「再開発の妨げになる」とかの理由をつけて片っ端から壊してしまいそうですね。
by 北海道大好き人間 (2012-03-24 21:13)
城壁がないのは、残念にも思えますが、
門だけでも、残されているのは、貴重ですね
上にはあがれないのでしょうか
by 飛狼 (2012-03-24 22:15)
なるほど、そういう歴史があるんですね、勉強になります。
でも、台湾の方々が日本を好きだというのは、どういう所から来ているのでしょうか?
不思議な気がしますが。。。
by リック (2012-03-25 06:20)
国が違えば建築様式も違う。当たり前だけど何だか面白いです。
by のんの (2012-03-25 11:54)
十数年前までは仕事で台湾によく行きましたが、今覚えていることって少ないなあ!
by david (2012-03-25 13:38)
棟の反りなんかいいですよ。
ロスのチャイニーズシアターの屋根の反りを思います。
昔はあちこちにあったような城郭都市だったのかな。
by 小肥り (2012-03-25 14:40)
台湾はお隣ですが、その地域の歴史はあまり勉強したことがありませんでした。街のつくりには歴史が刻み込まれていることをあらためて感じました。
by hideyuki2007y (2012-03-25 19:54)
北海道大好き人間さん。
あ、そうですね、おそらくそうなってしまうでしょうね。
日本では、古くからのものを維持保存して、というより新しいものに作り替えて、
という方が主流ですからねえ。
でも、これからもその手法で行けるのだろうか、といささか疑問ですがねえ。
by ナツパパ (2012-03-25 20:16)
ばんさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:17)
yychiroさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:17)
飛狼さん。
どこかに上にあがる階段がある筈なんですが、見つけられませんでした。
2階の窓は、矢を射るための役目もあるようですね。
それにしても、南方系の建物って軽やかで、見ていて気持ちが安らぎますね。
こういう門が入口に聳えていたら、街の印象も良くなりそうです。
by ナツパパ (2012-03-25 20:20)
ひろころさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:20)
tooshibaさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:21)
sevensea-southさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:22)
ちくわさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:22)
sugoimonoさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:23)
リックさん。
台湾の方々って、元々優しい方が多いのだと思うんですよね。
なので、日本人も、好きでいてくれるのかもしれないなあ、と思います。
...他の外国の人と同様に。
街を歩いていて、とくに日本語が通じるというわけではなかったのですが、
出会う皆さんが笑顔で、優しかったですねえ。
好きな街、そして好きな国がまた一つ増えました。
by ナツパパ (2012-03-25 20:27)
ryo1216さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:27)
ハーペイストスさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:28)
myumyuさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:28)
元気の素さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:29)
小梅姉さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:29)
のんのさん。
そうですね、こういう建物を見ると、ああ異国に来たなあ、と思います。
清朝の造った城の遺構なので、やはり中国風の色合いが濃いですよね。
それにしてもなんて可愛らしい、と思ってしまいます。
これで戦に耐えられるのでしょうかねえ。
by ナツパパ (2012-03-25 20:32)
めぇさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:32)
davidさん。
あ、davidさん、台湾に何回もお出でになったことがあるのですね。
わたしは今回初めての訪問でしたが、すっかり魅了されました。
また行きたいなあ、と思うのですが、さて。
台湾はここ数年で大きく変わったと聞きますし、台北の街も、同じように近年ずいぶん
近代的になったのだそうです。
それでも、たとえば北京に比べてこぢんまりしていて穏やかな台北は住みやすそうですね。
by ナツパパ (2012-03-25 20:35)
小肥りさん。
ほんとうに...城門の屋根が良い形ですねえ。
こういう建物を見ると、ああ中国なんだなあ、と思います。
街の周りを城壁で囲む、というのもまた、中国風の発想ですよね。
by ナツパパ (2012-03-25 20:38)
hideyuki2007yさん。
清朝末期まで、台湾は中国でも辺境の地だったのだろうと思います。
島としてみるとけっこう大きいですが、なにせ中国本土もまた大きいですからねえ。
中華民国政府が台湾に逃げてきて、ここに国を作らなければ、今でも台湾は
中国の辺境的な位置にあったかもしれませんね。
あ、あるいは経済特区として、もっと大変な発展をしていたかも。
by ナツパパ (2012-03-25 20:42)
aokenさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:43)
さとしさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-25 20:44)
城の外に街を作った日本人にとって、馴染みの無い風景で興味深いです。
文化の違いでしょうが、街としてのまとまりがあるように感じます。
日本のように曖昧なのも良いとは思うのですが。
by つぼっち (2012-03-26 00:04)
hanamuraさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-26 08:14)
susu-38さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-26 08:15)
つぼっちさん。
そうですよね、日本の城下町って、あくまで城の下にある街ですものねえ。
わたしたちは見慣れた風景ですが、一歩外に出ると変わった構造に見えます。
仰る通り、これはもう文化の違いとしか言いようがないですね。
外敵が攻めてきたら、街の市民共々皆殺し、が無かったんでしょうね、日本では。
by ナツパパ (2012-03-26 08:18)
以下、国土地理院のサイト
http://www.gsi.go.jp/MUSEUM/TOKUBE/kohokocho40954.html
新しい日本最高峰=新高山なんですね。
by gop (2012-03-26 08:52)
嬉しいコメントありがとうございました。
城壁の堅牢さには驚きました。取り壊されたり
したのは残念です。それを日本人がしたなんて。
日本が台湾にもたらしたものと壊したものどちらが多いのでしょうか。
by kumakichi (2012-03-26 10:45)
こんにちは。歴史を感じる建物と街並みですね。^^;
by ソニックマイヅル (2012-03-26 10:56)
丸や四角の窓が面白いですね。
by ねじまき鳥 (2012-03-26 23:10)
今造ROWINGTEAMさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:49)
chiraさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:49)
kurakichiさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:50)
gopさん。
あ、たしかにこの高さでしたら、日本最高峰ですよねえ。
それでニイタカヤマノボレ、なのかなあ。
それにしてもあと50メートル高ければ4000メートル台...惜しい。
by ナツパパ (2012-03-27 07:53)
月夜のうずのしゅげさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:54)
kumakichiさん。
息子さん、日に日にしっかりと、そしてすくすくと育っていらして、なによりのことと存じます。
この春からはご家族揃ってあちこちにお出かけ、それも愉しいでしょうね。
台北城の城壁は周囲5㎞ほどあったそうですが、それは今の台北市域のほんの僅かな地域です。
仮に明治時代に城壁を取り壊さなかったとしても、早晩、都市の膨張などで
行き詰まったかもしれませんね。
それでも、その時は城壁の一部は残したと思うので、やはり惜しいことをしましたねえ。
by ナツパパ (2012-03-27 07:58)
アジアンキャッツさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:59)
ハマコウさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 07:59)
nikiさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:00)
okin-02さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:00)
hirosanさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:01)
hetianソウソウさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:02)
ソニックマイヅルさん。
そうですよね、台北は古い建物や雰囲気が残る街でもありました。
第二次世界大戦時、連合国の空襲がなかったからかもしれませんね。
街を歩いていても、暮らしの雰囲気が濃く感じられて、ホッとする気持ちになれました。
by ナツパパ (2012-03-27 08:09)
パパねこさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:10)
miataさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:10)
ぼんぼちぼちぼちさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:11)
ほりけんさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:12)
kakasisannpoさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:12)
山子路爺さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:13)
湘南ライナーさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:13)
でじぶさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:14)
めいさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:15)
あいか5drrさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:15)
えいちゃん さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:16)
みちるさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:16)
ねじまき鳥さん。
これは鉄砲狭間や弓狭間の役割をする窓らしいんですよ。
調べた資料にそう書いてあったのですが、ちょっと大きすぎないかなあ、と思うんですがねえ。
この城門は福建様式というスタイルなのだそうで、南方で見られる姿形なのでしょうね。
窓も、北京や西安といった北方よりも開放的です。
by ナツパパ (2012-03-27 08:19)
りぼんさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:20)
wattanaさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:21)
vivianeさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:21)
あおたけさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 08:22)
お早うございます。
いつもご訪問ありがとうございます。
こちらは今日も晴天、春が近い、そんな日です。
by david (2012-03-27 10:06)
ご訪問&コメントありがとうございます^^
この門は色々な出来事を見て来ているのでしょうね...
by alba0101 (2012-03-27 10:37)
soneさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 18:39)
davidさん。
陽差しは確実に強くなってきていて、もう春を思わせるのですが、相変わらず風が寒いです。
でも、そろそろ気温も上がって、南風も吹き始めるようですね。
南風が吹き始めると、一気に春でしょう。
今年はそんな春が、例年にも増して待ち遠しいですね。
by ナツパパ (2012-03-27 18:41)
alba0101さん。
この北門、建ってから130年、様々な出来事を見てきたのでしょうね。
台湾の歴史も今まで平穏とはいい難く、様々なことがありました。
ここから先は、出来るだけ平穏でありますように、と願うばかりです。
by ナツパパ (2012-03-27 18:43)
dendenmushiさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 18:44)
nomadさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-27 20:18)
SORIさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-28 07:41)
lomoさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-28 07:42)
きゅーさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-28 07:42)
じゅんぺいさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-29 08:24)
ちっくん さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-30 08:19)
hatsuneさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-31 08:57)
lilacroseさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-31 08:57)
春分さん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-31 09:57)
e-g-gさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-03-31 21:28)
gardenwalkerさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-04-04 08:36)
himaさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-04-17 08:12)
れもんさん。
nice、ありがとうございます。
by ナツパパ (2012-04-17 08:13)