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見沼通船堀を見る [街あるき]

 

 

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 埼玉県さいたま市の東側、以前の名前で言うと大宮市から浦和市にかけては、広大な田んぼが広がっていた。

 「見沼田んぼ」と言われて、総面積は1200㌶もあったそうだ。

 

 江戸時代初めまでは「見沼(みぬま)」と呼ばれる広い池で、付近の田畑に灌漑用水を供給していた。

 ところが江戸中期、徳川吉宗の時代に、見沼は干拓されて広大な田んぼになった。

 米本位制の江戸時代、1200㌶もの新田は宝の山だっただろう。

 

 だが、「見沼」が無くなり困るのは灌漑用水が来なくなる付近の田畑で...

 その手当に、利根川から水を引く「見沼代用水(みぬまだいようすい)」が作られたのだった。

 

 

 

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 「見沼代用水」は広大な田んぼの両端に掘られて、それぞれ「東縁・西縁」の名前で今でも流れている。

 

 江戸時代の用水は灌漑用の他、船を使った物資の輸送にも使われていた。

 江戸へは出来た米や野菜、酒、薪などを送り、戻りの船には肥料や日常雑貨を積んできた。

 

 見沼代用水は途中でなくなるため、江戸までは、見沼田んぼの真ん中を流れる「芝川」に船を通さなければならない。

 写真上の流れは、見沼代用水と芝川を結んでいた「見沼通船堀」の遺構である。

 

 見沼代用水と芝川との間には3メートルの落差があり、そのままでは船の通行が困難であった。

 そこで、2段式の閘門を作って、その落差を調整したのが、この通船堀の特徴である。

 ちょうどパナマ運河で使われているように、水路に堰を造り、流れの水位を調節して船を上下させる。

 

 この「見沼通船堀」が国指定の史跡となり、水路には当時の閘門が再現されていてた(写真上・上)。

 がっしりとした木組みで、水圧や急な流れにも耐えられるようになっている。

 江戸時代の中期に、こんな閘門式の運河が出来ていたのを、ここに来て初めて知った。

 

 

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 写真上の地図をご覧いただきたいのだが、芝川を挟んで東西2つの通船堀がある。

 東側の堀が約390㍍、西側が約650㍍で、各々2箇所の閘門を持っていた。

 

 船を通すのは、田に水を使わない秋から春まで。

 最初は秋の彼岸から春の彼岸までだったが、後には冬の2ヶ月に短縮された。

 

 閘門は、扉を使う開閉式ではなく、水路に板を落とし込んで堰き止める方法だった。

 1箇所の閘門を通行するため、水路に水が溜まるまで1時間強必要だったそうで、ずいぶん手間がかかる。

 扉の水密技術が足りなかったのかもしれないが、なにより船の運行期間が2ヶ月と短かったからではないか。

 

 とはいっても、この通船堀を造り、長期間(昭和6年まで)運行させてきた人々の業績は素晴らしいものがあると思う。

 

 通船堀近くの鈴木家に、江戸までの運行に使われた船のレプリカが置かれていた(写真上・下右)。

 この船は1/2の模型だが、実際は長さ約12㍍、幅約3㍍で、俵を100俵以上積める大きさだった。

 その船を、当初は40艘、後には25艘が江戸との間を往復した。

 

 江戸からの船は「見沼通船」と呼ばれていた。

 江戸には本店にあたる通船屋敷、航路途中の会所(出張所)6ヵ所、荷物の積み卸し場は59ヵ所に上ったそうだ。

 この地域から江戸に送られる物資は、通船開始後飛躍的に増加したということである。

 

 年間の運行期間は短くても、運行量はかなりのものだったに違いない。

 船を使う江戸時代の物流が、規模も量も相当大がかりなものだったことが分かる。


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コメント 16

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めぎ

つい先日、ヨーロッパでの運河建設と日本での用水路建設を比較してうちのドイツ人といろいろ話した所なんです。ヨーロッパはかなり内陸部の鉱山からやはり内陸部の工業地帯まで、そして海まで運べるように工業地帯からライン川やドナウ川などの大きな河まで繋いで延々と運河を引いてますが、日本の運河って、明治以降に作られた港近くの倉庫までの短いものしかないですよね。それは物資の移動にたぶん海を使ったことや、運河を造って遠いところと船で結ぶには山がありすぎたんだろうねって話してたんです。用水路は田んぼのために造ったと思ってたんですが、物資輸送にも使われたんですね~知りませんでした。この通船堀の仕組みはヨーロッパの運河には至るところにあり、面白いなあと思ってたんですが、日本にもあったんですね!なんだか嬉しいです。
by めぎ (2008-12-02 17:40) 

gop

似た様なシステムが京都蹴上にあるインクラインですよね。
欧州ではイギリス、フランス、ベルギーにもある様です。
by gop (2008-12-02 20:31) 

gillman

見沼田んぼは彼岸花も見事ですね。以前はコスモス畑も結構あったのでよく見に行きました。昔の人の知恵ってすごいなぁと思いますね。

by gillman (2008-12-02 22:02) 

YAP

日本にもこんな水門があったんですね。
鎖国時代のことでしょうから、海外から学んだわけでもないでしょうのに、すごいですね。
by YAP (2008-12-03 07:56) 

ナツパパ

xml_xslさん。
nice、ありがとうございました。
今朝は陽がさんさんと輝いて良い天気です。
この時期、太陽が出ると出ないとでは気温に大きな差が出ますね。
どうかお身体ご自愛下さい。
by ナツパパ (2008-12-03 08:28) 

ナツパパ

MORIHANAさん。
nice、ありがとうございました。
寒暖の差が激しいこの頃です。とくに、このところの北海道は激しいようですね。
巷ではもう、インフルエンザが流行りはじめているとか。
どうかお風邪など召しませんように。
ところで、ネコちゃん、そろそろでしょうか。
by ナツパパ (2008-12-03 08:30) 

ナツパパ

めぎさん。
江戸時代までは、日本には物資輸送の出来る道路がありませんでした。
なにしろ馬車輸送がなかった...非常に珍しいことだそうですね。
それで船運が盛んになったそうです。

東北では、北上川が代表的で、大小3~400艘の船が物資輸送をしていたと記録にあります。
その他、京都の高瀬川なども船運用の運河ですねえ。

関東地方は平野なので大きな川がゆっくりと流れていて、とくに船運が盛んでした。
利根川や江戸川には、河岸という河川港がたくさん出来ていました。
遠くは高崎の倉賀野まで、鬼怒川や霞ヶ浦にネットワークが出来ていたそうです。
桐生や伊勢崎の織物は江戸に、北関東産の麦は銚子や野田の醤油工場に、仙台の米は
銚子から利根川江戸川経由で江戸に運ばれていました。
川は、江戸時代の高速道路だったのかもしれませんね。
by ナツパパ (2008-12-03 08:41) 

whitesox

パナマ運河と同じシステムが日本でも使われていたのですね。春になったら見に行きたくなりました。
by whitesox (2008-12-03 08:42) 

ナツパパ

gopさん。
「ヨーロッパの運河」という本が手元にありまして、それを見るとあちらの河川運送はすごいですね。
使われている船も大きく、閘門やインクラインの設備も大規模です。
以前、日本海~敦賀~琵琶湖~淀川~大阪~瀬戸内海という船運ルートが計画され、
敦賀側にインクラインか閘門式の運河を、という話しもあったようですね。

by ナツパパ (2008-12-03 08:49) 

ナツパパ

gillmanさん。
見沼田んぼは広々として気持ちの良いところでした。
今はずいぶんいろいろな施設が出来てしまいましたが、それでもまだ広いところですね。
散歩をしていて気分が清々します。

見沼田んぼでは、見沼代用水が地域の縁の小高いところを通り、これは水の供給元です。
一方芝川は、見沼地域の真ん中を低く流れ、こちらは水の排水先だったそうです。
自然になったのではなく、そのように計画して作ったのだとか。
見沼代用水と芝川の落差はそのためなのですが、江戸時代の方々の知恵は素晴らしいと思います。
by ナツパパ (2008-12-03 08:57) 

ナツパパ

YAPさん。
ここの閘門は、1731年に作られたそうで、もちろん日本最初です。
そのあと、何カ所かで同じような運河が出来たそうですから、この通船堀の方法が
有効だと判断されたのかもしれませんね。
閘門の概念はオランダあたりから得たかもしれませんが、細かい設計や作業は当時の方々の知恵でしょう。
本当に尊敬してしまいます。
by ナツパパ (2008-12-03 09:03) 

ナツパパ

whitesoxさん。
ぜひお出でになってみて下さい。
武蔵野線東浦和駅から徒歩10分程度で着きます。
公園や掲示板も整備されていますし、なにより堀の両脇には桜並木が続いていますから、
春お花見もかねてお出でになると良いと思います。
by ナツパパ (2008-12-03 09:06) 

ナツパパ

hnbergさん。
nice、ありがとうございました。
冬期休暇も近づいてきましたね。今冬の年末年始はどのように過ごされるのでしょう。
わが家では、息子は冬期講習に、妻はピアノ演奏家の準備、わたしは...
読書とDVD鑑賞で冬籠もりの予定です。
by ナツパパ (2008-12-04 08:35) 

かめむし

埼玉県出身者としては、とても懐かしいところです。
小学校の社会科で見沼代用水とか通船掘は習いましたね~。
by かめむし (2008-12-06 06:09) 

ナツパパ

かめむしさん。
江戸中期にこういった構造の運河が作られたなんて、凄いことだと思いました。
発想もすごいですし、その発想を可能にした土木技術もたいしたものだなあと思います。
見沼代用水の水は利根川から引かれているのですが、途中に交差する元荒川では
川の下にトンネルを掘って水を流していたそうですね。
by ナツパパ (2008-12-06 13:59) 

ナツパパ

hideyuki2007yさん。
nice、ありがとうございました。
申し訳ありませんでした、お返事が遅くなってしまいました。
もうそろそろ年賀状の時期ですね。
今日図案集を買ってきたのですが置いたまままだ見ていません。
このままずるずると追い詰められていきそうな予感です。

by ナツパパ (2008-12-13 20:35)