夏休みをどう過ごそうか [記憶に残っていること]
妻の父は、1922(大正11)年、札幌に生まれた。
義父は、北海道大学の農学部を卒業し、愛知県武豊町の国立農試で3年間過ごした他は、
ずっと北海道の農業試験場勤めであった。
妻は、義父の転勤に従って、北海道をあちこちまわったそうだ。
農業試験場という施設は、広い土地が必要なので、街から遠く離れた原野の中にある。
それで、妻の幼少期の体験談は、東京育ちのわたしには思いも寄らないようなものが多い。
幼稚園に通う途中羊の群れと遊んだ、とか、牛が道路にいて恐くて学校に行けなかったとか。
流石に、オオカミだとか熊だとか、の話はなかったな...キツネの話は聞いたけれど。
退職してからの義父は、生まれ育った札幌に戻り悠々自適の生活を送っていた。
わたしは、義父の話を聞くのが大好きで、札幌に行ったときなど、何時間も飽きずに
彼の話を聞いていたものである。
夕張メロンが、いかにして高品質を保っているか、という話。
きらら397、という米が誕生するまでの話。
気温が低くて、5年のうちせいぜい1年しか米が採れない地域の話。
そして、蕎麦好きの義父が話す、道内各地の蕎麦屋の話。
そんな話を、3時間くらいノンビリと話していると、心が次第に解れていくのだった。
義父は1999年になくなったのだが、もっと話を聞きたかったな、と思う。
そして、義父の話を書き留めておいて、聞き書きのようなものを作れば良かったな、と思う。
毎年夏には、一家で札幌に帰省している。
妻は実家だから、ゆっくりと骨休めが出来る。
子どもにとっては、義弟の3人の子どもたちと会うのが一番の楽しみである。
その3人だけが、彼にとっての従兄弟なのだ。
彼らとは、小さい頃から、じゃれ合うようにして遊んできた。
従兄弟たちと遊んでいるときの子どもは、本当にリラックスしている。
親にも見せないような素の表情を出して、全く無警戒である。
夏の帰省は、彼にとっては一年一度の心の洗濯なのかも知れないなあ、と思う。
そんな機会を持つことの出来る子どもを、わたしは羨ましくて仕方がないのだ。
特に、義父との会話が無くなってしまった今となっては。
今年も、もうすぐ夏休みがやってくる......妻は、切符の手配などを始めたらしい。
ただ、今年の夏は、子どもが忙しいのだ。
野球の合宿、塾の夏期講習など、日程が詰まっている。
でも、たとえ3~4日間でも良いから、妻と子どもを帰省させてやりたい。
その間だけでも、何もかも忘れて遊んできてほしい。
妻にも、そう話したところだ。
そうしたら、お盆の時期は飛行機代が高いからどうしようか、って妻が言った。
「おとうさんのお小遣いを止めて、その分を切符代やお小遣いに回してくれないかなぁ」
そんな、ご無体な。
コメント 0
コメントの受付は締め切りました