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やっと出会えた それから  夏・北海道旅行記その2 [乗り物大好き]





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 東旭川公民館で「旭川電氣軌道」の電車を見物して、次に向かう先は東川町である。

 東川町は旭川市街から見て東南方向にあり、以前は農産物や木材の集散地として発展してきた。

 現在は、木材を使うクラフトから始まり、様々なクラフト関係の店があったり、「写真甲子園」の開催地としても名高い。




 その東川町まで、旭川から一直線の道が繋がっている。

 その見事に一直線の道に沿って、旭川電氣軌道の東川線が伸びていた。

 冒頭の写真の、左路肩に線路が敷かれていて、そこを大きな電車が通っていたのだった。




 季節は夏、一面の農地が広がる中、風の吹き抜ける一直線の道が気持ちいい。

 きっと電車内も、夏には開け放たれた窓から風が吹き抜けたのだろう...その頃は今よりも涼しかっただろうし。







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 東川町に着いて目指したのは「東川郷土館」(写真上)。

 東川町の旧町役場を移設し、郷土の歴史などを展示する施設で、ここも訪ねたいと思ってもう長い。

 なぜかといえば、夏の7・8月は平日開館しているのだが、それ以外の月は日曜日のみ開館なのである(12~4月は閉館)。

 このところ真夏に旅行することの少ないわたしにとって、週のうち一日のみの開館に合わせるのが難しかったのだ。




 今回は8月に旅行出来ることになり、やれやれ宿願の達成である。

 やってきた郷土館はきちんと整備された姿で建っていた...青空に映えて素敵な外観だ。







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 館内に入ると、東川町の歴史や特産など、あれこれを展示していることが分かる。

 そこも見てみたいけれど、まずは、目指すところに行ってみようと思う。







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 入口から奥に電車が置かれ展示されていた...旭川電氣軌道の100形電車である。

 旭川電氣軌道は1927(昭和2)から1972(昭和47)の廃止まで、旭川市と東川町を走っていた。

 この100形は、開業当時の車輛が火事で損なわれたのを受けて、1950(昭和25)年に3両作られた。




 それまで3時間以上かかっていた東川~旭川は、電氣軌道の開業で1時間以内になったのだった。

 全長12㍍の、この小型の電車は、東川町そして沿線の住民にとっては心強い存在だっただろう。







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 昭和中期に作られた車内は床など室内に木が多用され、白熱灯とも相まって独特の魅力を持っている。

 運転席の機器も単純で、速度メーターすらない...が、当時はこれで十分だったのだろう。

 旭川四条を起点とする旭川電氣軌道は、旭山公園までの線と東川線と、1時間に一本ずつ走っていた。







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 小さな車体なのだけれど、全景を写そうとすると、両脇に置かれた荷車とか郵便ポストが邪魔をする。

 ...なんでよ...とグチを言いつつ、見ると車体のうしろに通路があって、車体の下を見ることができた。

 フルサイズ換算15mmの広角レンズを使ってようやく車体前部を写真に収められた...少し歪んじゃったかな。







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 屋内に展示されているので、薄暗い中車内の白熱灯が懐かしい雰囲気を醸し出す。

 そういえばわたしも子供の頃に乗った電車は白熱灯だったこともあったなあ。

 旭川からの夜更けの電車は、こういう雰囲気で広い田園の中を走っていたのだろうか。







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 館内には、現役の時の旭川電氣軌道の写真が展示されていた。

 東川線各駅の様子、そして東川町の様子...褪色した写真が、50年の歳月を思い出させるのだった。

 東川の街中では、電氣軌道線は道路の真ん中を通っていたらしい。




 帰りに写した東川町内の写真...この道路の真ん中を大きな電車が走っていたのだなあ。

 そう思うと乗ってみたかったなあ、という気持ちが湧き出てくるのだった。

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コメント 46

八犬伝

なるほど
写真甲子園が開催される場所なんですね。
この車両は貴重ですね。
しかも屋内で中まで開放しているとは
ありがたいことですね。
by 八犬伝 (2024-09-15 13:55) 

ナツパパ

八犬伝さん。
そうなんです、高校生が東川町に合宿して写真を写す、そういう催しだったと思います。
テレビの番組で見て、高校生たちの生き生きした様子や街の人の笑顔など、いいなあと思いましたっけ。
東川は以前から木材を使ったクラフトが盛んで、今ではクラフトの街も多く、そういった自由な発想が
街を豊かにしているのかもしれませんね。
落ち着いた雰囲気の、暮らしやすそうな町でした。
by ナツパパ (2024-09-15 14:56) 

ma2ma2

北海道は廃線になった所が多いので今は走っていない電車が沢山ありますね。
by ma2ma2 (2024-09-15 15:17) 

よしあき・ギャラリー

大切に、それも館内に保存されていましたね。
建物の外観も素晴らしい!
by よしあき・ギャラリー (2024-09-15 15:42) 

tommy88

1枚目の写真
電柱の前後にポールが立っています。
逆Lの字に立つポールの先には赤い下向きの矢印。
これは夏場には何の役にも立ちませんが冬に活躍します。
除雪車が作業をするとき、路面を削る見極めのラインです。
これがないと、歩道との境がよく分かりません。
これも東京にはなく、私には懐かしい光景です。
北海道に初めて住んだ時、驚いたのは殆ど瓦屋根がなかったことです。
トタン屋根になっていて、雪が滑り落ちるように。
隣家との間も、東京のような密接はなく、雪が落ちる空間。
ちょっとしたことだけど、些細な所が広々としていました。
都心の窮屈な3階建て住宅を見ると、可哀想になります。
来月は、収穫の秋を楽しみに札幌へ行きます。
2㎏ぐらい太って帰る予定です。

by tommy88 (2024-09-15 16:08) 

夏炉冬扇

歴史がありますね。いいものが保存されている。行った甲斐あり。

by 夏炉冬扇 (2024-09-15 17:44) 

英ちゃん

古い電車内は趣があっていいよね。
運転席と客席の仕切りがないのもいい感じだしね(^_^;)
北海道はJRはどんどん廃線にしちゃってるけど鉄道での移動が一番便利だと思うけどね(;^ω^)
by 英ちゃん (2024-09-15 17:52) 

YAP

ここでは屋内保存されているんですね。
これなら気象環境からの劣化は最低限に抑えられますね。
説明のパネルとかも配置しやすいし、やはり古いものを後世に残すためには、こういうものを用意するのが理想ですね。
by YAP (2024-09-15 18:44) 

gop

1949年(昭和24)3月、車庫の火事により車両は1両を残し全滅。
緊急で製造されたのが、このモハ100形の様ですね(計3両 9月納車、これも日車製)
良く再建したと感心しますが、現役当時は蒸気しか興味なく訪問出来なかったのが残念。

by gop (2024-09-15 18:44) 

めぎ

最後の写真、50年前は電車の走る風情ある通りだったのですね。
それより50年前は、畦道みたいなところだったのかなぁ。集落があったのかなぁ。それともただの野原…?そのまた50年前は?
そういう時代の風景も見てみたかったなあと思ったりします。
by めぎ (2024-09-15 19:13) 

kuwachan

旧東川町役場を移設して造られた「東川郷土館」、洋館風の建物で素敵ですね。
木で出来た床や向かい合わせの長い座席に歴史を感じます。

by kuwachan (2024-09-15 22:49) 

TaekoLovesParis

すごい、古いですね!鋼鉄製で頑丈。しかも床が木。王子の飛鳥山公園に古い都電が展示されているけれど昭和37年製。これは昭和25年製。12年で差が大有り。ただただ感心してます。
by TaekoLovesParis (2024-09-15 23:40) 

おと

車両の床が木製、とても素敵です。
最後のお写真の真ん中を走っていたんですね^^感慨深いですね~。
私は、京都の祖父母の家の前に路面電車の駅があったのを覚えていて、なくなったのが残念です。
by おと (2024-09-16 05:38) 

ぼんさん

ブログでの紹介はまだ先となりますが、先日、札幌近くとなりますが、北海道にお邪魔しました(^_^)
by ぼんさん (2024-09-16 05:58) 

tarou

お早うございます、パワースポット(十和田神社)に
コメントを有難うございました。
チンチン電車は、板張りの床でしたね、懐かしいです。
by tarou (2024-09-16 07:42) 

ニコニコファイト

なんか宮崎駿監督が好きそうな電車ですね。
by ニコニコファイト (2024-09-16 08:29) 

お散歩爺

旭川町他各地にも行きましたが東川郷土館は行ってないので、
歴代の車両なども楽しめるのは良いですね。
by お散歩爺 (2024-09-16 09:29) 

MORIHANA

東川町は今、子育て世代に人気の移住地になっていて、宅地不足だそう。首都圏の意識高い系のクリエイターが職住一体の家を建てるケースも多く、お洒落なお店が沢山あります。唯一の残念は、公共交通機関が脆弱なこと。今、この電車が残っていたら、きっと重宝されたことでしょう。札幌市街地-定山渓を結んでいた「じょうてつ」も、今あれば通勤・通学電車として大活躍だったのに、と思います(バスしかないので、旧沿線宅地は近年高齢化が進んでいます)。
by MORIHANA (2024-09-16 09:53) 

北海道大好き人間

北海道内の郷土資料館・博物館は冬期休館のところがおおいですね。おまけに夏期でも開館日が限られていますと、それに合わせた旅程を計画しなければならなくなります。
雪の影響を受けやすい北海道に於いて、廃線された当時の車両が「屋内」に展示されているのは有り難いと思います。以前、拙記事で書いた札幌・自衛隊前の交通資料館は地下鉄の高架下に展示されていたのですが、屋外で展示・保存するのであれば、最低でも屋根を架けるべきだと考えています。その札幌の交通資料館、長期休館を経てリニューアルされたみたいですので、機会を見て行ってみたいです(多分、展示車両に変わりはないでしょうけれども)。

by 北海道大好き人間 (2024-09-16 10:40) 

Inatimy

木材を使うクラフト、いいですね。お店を見つけたら素通りできないです^^;。
小型の電車、とっても素敵。今の時代から見ると温かみがありますね。
木の床とか、ずーっと横に長い座席とか。
夏は今よりも涼しかっただろうから、まだいいとして、冬は寒かったでしょうね。暖房とか入ったのかしら。
by Inatimy (2024-09-16 15:12) 

小肥り

クラシックな電車はいい。自動車もいい。飛行機もいい。
機能追及もいいけど。やはり格式、風格も大事にしたいよね。
内装もいい味だしてる。白熱灯もいいわい。
ところで4枚目の写真。左の赤い器具が気になるんだけど。
路面電車の復活話はでてこないのね。
北海道では・・・函館の路面電車に乗ったんだった。
by 小肥り (2024-09-16 16:08) 

みち

郷土館の外観からは中に電車が展示されているとは思いませんでした。
古い車両は趣がありますね。古い世田谷線と似ていると思ったら、
チンチン電車だったのですね。
子供の頃チンチン電車(世田谷線)に乗ったら注射(保健所があったのです。)
だったので、良い思い出ではないのですけれど、チンチン電車は好きでした。
by みち (2024-09-16 22:35) 

向日葵

ここもまた素晴らしいですね。
鉄っちゃん、羨望の場所、でしょう。。
たっぷり堪能なさいましたか?
私ことですがー。
生まれた時は近くを都電が走っていて、大学出てから引っ越した
ところは世田谷繊に近くてー。
結婚してチンチン電車とは縁のない土地に行きましたが、
約10年経って、また家の事情もあって、都電の近くに戻って来ました。
ですから「ちんちん電車」はワタクシにとって、いつの間にか
「なくてはならないもの」になってしまいました・・!!
by 向日葵 (2024-09-17 06:55) 

くまら

チン電って当地ではむかーし走ってたそうですが
脱線事故が有って廃線となったそうな
それ以来、市内は基本バスの当地
電車に憧れました
by くまら (2024-09-17 09:22) 

ナツパパ

ma2ma2さん。
そうですねえ、北海道内廃線跡って多いですよね。
炭鉱から石炭を運ぶ鉄道は各地にありましたし、記事のように大きな都市の近郊をつなぐ鉄道、
それから道東には簡易軌道といって酪農の牛乳を運んだりする目的の鉄道もありました。
いずれも、道路が整備されて自動車が行きわたると存続できずに...残念なことです。
by ナツパパ (2024-09-17 11:50) 

ナツパパ

よしあき・ギャラリー さん。
東川町は木材や農産物の集散地で、昭和初期にはそのせいで比較的大きくそして豊かな街だったのでしょう。
そういう街から旭川まで、馬車では3時間以上もかかり、農作物や木材に輸送も大変で、
明治の頃から鉄道敷設の願いが始まって、ようやく昭和初期に鉄道開始となったようです。
それだけに鉄道が通った時は、町民の皆さん嬉しかったことでしょう。
郷土館で鉄道車両1両を屋内で保存というのはすごいことで、でもいいかえれば、
それだけこの鉄道が町民に愛されていた、ということなのかもしれませんね。
by ナツパパ (2024-09-17 11:54) 

ナツパパ

tommy88さん。
あ、そうですね、この逆さの矢印は北海道の道に特有のものですね。
除雪の道しるべ、に大切なものというのは初めて知りました。
記事のように一面平らな道ですと、吹雪いた後など、道路の端を知るのは難しそうです。
わたしが学生の頃、北海道に家には三角形の家が多く、屋根の積雪対策と聞きました。
今は無落雪住宅が一般的で、みな四角い建物になっていますね。
秋の北海道で美味しいものを飽食...うらやましいなあ、ぜひ5kgは体重増加で帰京なさってください。
by ナツパパ (2024-09-17 11:59) 

ナツパパ

夏炉冬扇さん。
はい、行った甲斐がありました。
夏の青空の下に立つ郷土館の佇まいは素晴らしいものでしたし、館内の展示もまた、
東川町の歴史をよく伝えてあって見応えがありましたし。
記事では鉄道車輛ばかりを取り上げたのですが、郷土館は、ここに来たら一見の価値ありと思いましたねえ。
ただ、夏の78月は週6日開館なのですが、5、6、9、10月は週に一日のみの開館で、
11月初旬から4月いっぱい閉館は旅行者には厳しい条件なのでした。
今回行くことが出来、宿願を果たせてうれしい日になりました。
by ナツパパ (2024-09-17 12:04) 

ナツパパ

英ちゃん さん。
なつかしい車両の、外観も室内も、そうそう昔はこうだったなあ、と思いました。
今はもうピカピカの車内ですけれど、わたしが子どもの頃は、白熱灯の明かりが暗めで、
夜の電車などは少し怖かった覚えがありますよ。
仰るとおり、北海道の鉄道はすでに瀕死の状態にある、とわたしも思います。
札幌を中心にして、都市間の交通は維持できるかな?と思っていたのですが、それも難しそう。
札幌~旭川ですら、高速道路利用のバスに押されていると聞いて絶望的になりました。
公共輸送機関なのですから、公的な補助での維持が欲しいですねえ。
by ナツパパ (2024-09-17 12:09) 

ナツパパ

YAPさん。
仰るとおりと思います。
鉄道車輛は野外で使われるもので、天候に対してある程度の備えはできているのですが、
それも定期的な補修や修繕などが行われてこそ、のものです。
野外の保存で、その補修が無い場合は数年でボロボロの状態になてつぃまい、
展示にそぐわないものとみなされて撤去されることもあります。
郷土館のように屋内で保存されていると、いつまでも残すことができますので、
こういう形が理想なんです...けどねえ、うーん。
by ナツパパ (2024-09-17 12:12) 

ナツパパ

なんでもご存知gopさん。
100形もまた日車東京支店で作られたのでしたか。
火事で全滅になったのを、すぐに100形を作って対応できたのは、日車の底力ですねえ。
車輛の登録上は改造となっているそうですが、実際は新製だったとか。
この大きさの車輛は昭和初期には一般的に作られていたスケールのものですので、
車体の図面があったのかな...そうでなければ、如何に日車といっても難しかったでしょう。
by ナツパパ (2024-09-17 12:16) 

ナツパパ

めぎさん。
北海道は明治以降に開拓が入ったところですから、今から100年前となると1924年ですか、
それですと旭川市街はけっこう大きくなっていたでしょうし、東川町もそれなりの街だったようですよ。
更に50年前、1874年はどうだったのでしょうねえ。
先住民の皆さんが集落を作っていらしたかもしれないし、一面林だったかもしれないし。
うーん、電車ばかりじゃなくて、東川町の歴史も、郷土館でしっかり見ておくべきだったなあ。
by ナツパパ (2024-09-17 12:21) 

ナツパパ

kuwachanさん。
木造の、この瀟洒な建物が町役場だったなんて素敵ですよねえ。
この建物が作られたころは、街の規模もさほどではなかったことでしょう。
そういう中、この建物は、旅行者の目からすると、いかにも北国北海道を思わせます。
若い頃、旭川を舞台にした小説「氷点」を読んでから、旭川や上川盆地に対して、
清冽なイメージがあって、この郷土館の建物もそういったわたしのイメージそのものに思えます。
by ナツパパ (2024-09-17 12:25) 

ナツパパ

TaekoLovesParis さん。
郷土館に展示されているこの100形電車は、それまで使われていた電車が車庫の火事で
ほぼすべて全勝してしまい、代替として大急ぎで作られたものです。
想像ですが、この電車を作るとき、製造会社の倉庫にあった以前の電車の設計図面を参考にして
製作されたものと思います。
一から設計するときは、鉄道会社の意向でデザインも新しいものが選ばれることが多いわけで、
前稿の1000形電車が1955年製造を考えると、100形は1950年なのですけれど、
ここまでクラシカルなデザインにはならなかったかな、と思ったりもします。
by ナツパパ (2024-09-17 12:35) 

ナツパパ

おとさん。
1960年代までは、いろいろな場所で鉄道が元気でした。
70年代に入って一気に鉄道が勢いを無くしてしまい、それは道路の整備がすすんだり、
自動車が普及して、ということもありましたよねえ。
当時は道路の整備や増え続けるクルマへの対応で、国も精いっぱいだったのかな、と思います。
あの時、もうすこし全体を俯瞰して交通の体系を整えてくれれば、と思いますが、
それはない物ねだりなのかもしれません。
ただ、欧州の各国な車と鉄道が、都市部でも共存できているので、同じようにしていれば、
各都市で路面電車が廃止になることもなく、今でも人に優しい交通機関として残ったことでしょう。
by ナツパパ (2024-09-17 12:40) 

ナツパパ

ぼんさん さん。
あ、北海道にご旅行でしたか。
今年は北海道も暑くまた雨の多い夏となりましたね。
この異常さは今年だけなのか...と心配になりますが、夏の暑さは続きそうです。
記事の旅行では、さいわい雨になることもなく、晴れて気持ちのいい旅になりました。
...でも暑かったです(笑)
by ナツパパ (2024-09-17 12:43) 

ナツパパ

tarouさん。
そうでしたねえ、昭和中期の電車は板張りの床でしたっけねえ。
タールの匂いというのは独特の匂いがして、雨の日などはいっそう匂いました。
わたしは西武池袋線で通学をしていまして、当時は半木造の車輛も多く、木製の床は懐かしいです。
エアコンもない車内は梅雨のころなど蒸す暑かったのですが、当時はそんなもんだと思っていたのか、
特に苦しい思い出も無かったんですよねえ。
by ナツパパ (2024-09-17 12:47) 

ナツパパ

ニコニコファイトさん。
>なんか宮崎駿監督が好きそうな電車ですね。
あ、ほんとそうですね。
宮崎駿監督の作品にいかにも出てきそうな雰囲気ですね。
すこしクラシカルなデザインと短めの車体が彼の作風に似合いのように思えます。
この車両は同形3両が作られて、旭川電氣軌道の主力として働き続けました。
北国の冬は厳しく、その中で黙々と働いてきた姿を思うと頑張ったね、といってやりたくなります。
by ナツパパ (2024-09-17 13:44) 

ナツパパ

お散歩爺さん。
北海道各地、郷土の歴史を展示する施設は多く見られるのですが、電車一両丸ごと展示しているのは、
ここくらいのものではなかろうかと思います。
それだけ、この街と電氣軌道のつながりは深かったのだろうなあ、と想像しますねえ。
上川盆地は一面の平野で、冬に風が吹けば容易に風吹となりますので、そんな中、
旭川の街との間をつないでくれた電氣軌道は東川にとって大切な存在だったのでしょう。
...でも、その割に、1972年暮れ、鉄道はあっさりと廃止になってしまうんですよねえ。
旭川の街や駅まで線路が伸びてなかったのも原因かなあ、などと思ったりします。
by ナツパパ (2024-09-17 13:49) 

ナツパパ

MORIHANAさん。
たしかに、札幌や旭川など、大きな都市と周辺の街をつなぐ鉄道は、今残っていれば、
ずいぶん役に立ったと思いますし、旭山公園や定山渓まで高速の鉄道があれば、
観光や通勤通学で、藤野や簾舞など、あそこまで苦労することもなかったことでしょう。
思えば惜しいことをしたもの、と思います。
ただ、記事の旭川電氣軌道も定山渓鉄道も、市内の中央もしくは国鉄の駅まで届いてなかった、
これもまた廃止の遠因になったのではなかろうかなあ、などと思ったりもします。
旭川4条駅から国鉄旭川駅まで線路は繋がっていたそうですが貨物輸送だけ、旭川駅に余裕がなかった、
というのがその理由だそうで、開業当時は旭川市電が4条まであったので、それでよかったのでしょう。
定山渓鉄道も豊平までで、そこから札幌市電乗り換えでしたっけねえ。
札幌駅乗り入れも別製のディーゼルカーだったのも残念なことでした。
by ナツパパ (2024-09-17 13:56) 

ナツパパ

北海道大好き人間 さん。
北海道各地に鉄道の遺構が保存されていて、とくに道北でそれが多いです。
別海とか標津とかね、あのあたりでは駅が保存され、そこに昔の車輛が展示されていますね。
それを見ると、鉄道と地域は密接に結びついていたのだなあ、と思い知らされます。
北海道では、とくに利用人員の少なさから赤字路線がずいぶん廃止となりました。
惜しいことをしたなあ、と思いますし、なんとな残す手立ては無かったのかなあ、などと、
鉄道好きの身はそう思ってしまいます。
by ナツパパ (2024-09-17 14:01) 

ナツパパ

Inatimyさん。
東川は木材の集散地で、その木材を使ってのクラフト製品が、1980年ころから
多く見られるようになりました。
わたしも好きで、太田久幸さんという作家さんのフクロウの作品がお気に入りでしたっけ。
ある展示会場で太田さんに出会い、12個1セットのフクロウをお願いして作ってもらったのが、
わたしにとっての宝物です。
おかあさんフクロウと子供のフクロウ、それぞれ大きさも表情も違う姿がとてもかわいいんですよ。
今では、クラフト製品に限らず、様々なショップが多くあって、魅力的な街になりました。
by ナツパパ (2024-09-17 14:06) 

ナツパパ

小肥りさん。
>ところで4枚目の写真。左の赤い器具が気になるんだけど。
あ、これは脱穀機のようです。
記事の他に撮った写真を見るとそういう用途のものに見えました。
この施設は、東川の歴史やこの街で使われてきた器具などを展示していて、
やはり農業や林業関係のものが多かったですねえ。
1970年代以降に鉄道を駆逐して代替手段となった路線バスも、今や風前の灯とか。
乘る人がすくなければ、公共輸送機関が立ちゆきませんしねえ。
宇都宮ではトラムが大成功していますが、あれは稀有な例外と言うべきなのでしょうねえ。
by ナツパパ (2024-09-17 14:10) 

ナツパパ

みちさん。
東京にも路面電車が残っているのは嬉しいことです。
一つは都電の荒川線ですし、東急の世田谷線も路面電車の雰囲気を残しているように感じます。
以前は確か緑一色の電車で、エアコンなどもないクラシカルな車輛だったように覚えています。
そうでしたか、世田谷線に乗ると注射ですか...それは嫌だなあ、わたしも(笑)
カミさんの実家は札幌市内の西にあって、最寄り駅は市電の停留所なんです。
市内中心部から市電で、というのも良いですし、夜など市電の警笛が聞こえてきたりもします。
そういう音も良いものですよ。
by ナツパパ (2024-09-17 14:15) 

ナツパパ

向日葵さん。
路面電車のいいところは、停留所が多くあること、そして停留所から街まで地続きだということだと思います。
そういう交通機関は、今風にいうと交通弱者にやさしい(あまり好きな表現ではありませんが)、
そして、線路内に車立ち入り禁止にすれば、バスよりも定時性があるのも良いですね。
そんなこんな路面電車は良いことが多いのですが、でも、その機能を最大限発揮できる
街の規模があって、おそらく東京や大阪名古屋などは大きすぎるように思いますねえ。
東京も山手線内に多くの人が住んでいれば、路面電車は活躍できることでしょう。
ちなみに愚息は三ノ輪に住んでいて、住まいのすぐそばに都電の駅がありますよ。
彼の家を訪ねるたび、いいなあ、と思います。
by ナツパパ (2024-09-17 14:21) 

ナツパパ

くまらさん。
そうでしたねえ、くまらさんお住まいの街も市内電車が走っていましたよねえ。
けっして広くは無く曲がっているところの多い道を走っている市電は、街の景色と一緒に、
いい雰囲気だなあ、と思いました。
たしか長い坂の上でブレーキが利かなくなった車輛が暴走したのでしたね。
多くの方が犠牲になり、それで廃止が早まったと、わたしも聞きました。
by ナツパパ (2024-09-17 14:24) 

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