やっと出会えた 夏・北海道旅行記その1 [乗り物大好き]
暑さでうだっていた8月中旬のこと、ふと余暇を得ることができたのだった。
そこで2泊3日の旅行を思い立った...のだが、さてどこに行こうか。
時期は旧盆明け、ちょうど妻は所用で札幌の実家に帰省中である。
旅行の話をしたら、こっちに来てどこかドライブしようよ、と誘われた。
で、旧盆の明けた某日、羽田空港6時45分発のスカイマークで新千歳に、そこからレンタカーでドライブとなった。
千歳から道央自動車道を走って3時間くらいか、やって来たのは旭川市。
とはいっても目指す場所は旭川市内ではなくて、市中心から東の、東旭川というところである。
冒頭の写真は、その東旭川の街並みで、真っ直ぐな道に民家がちらほら、のどかな北海道の風景なのだった。
東旭川は近くに旭山公園という観光地を抱えた地域なのだけれど、街自体はずいぶん閑散としていた。
その街でずいぶん探し、やっとのことで、目指す「東旭川公民館」に到着した。
土地に余裕のある北海道らしく、広い敷地に駐車場完備、そして運動施設も併設された公民館だ。
が、今回、ここまでドライブして見たかったものは、公民館の施設ではなく、写真上の建物の左奥にある。
公民館の奥に、目指す電車が保存されている。
1970年代まで旭川市内から東郊に向かう線路があった「旭川電氣軌道」の電車である。
もう50年も前に廃止となった鉄道...しかし、写真の車輛は、厳しい北海道の気候にも拘わらず、きちんと保存されているのだった。
電車の奥はホームになっていて、車体を間近で見ることができた。
内部に入ることはできないが、車体を触って確かめられるのは、電車好きには至福である。
この電車はモハ1000形といって、1955(昭和30)年日本車両東京支店で製造され、1972(昭和47)の廃止まで活躍した。
1930(昭和5)年開業以来の、古い車両しかなかった旭川電氣軌道で、ほぼ唯一の近代的な電車であり、いわばエース格だった。
すっきりとした外観は、わたしのような電車好きにとっては、とても好感が持てる。
ホーム上には、駅名表示板と、旭川電氣軌道の略歴、そして路線図が設置されていた。
旭川電氣軌道は、旭川四条駅を始発駅として、Y字型の路線を持っていた。
一方は観光地の旭山公園、もう一方は木材集積地の東川町まで、1960年代までは多くの乗客が利用した。
しかし、1970年代に入り、モータリゼーションの波によって、鉄道事業は廃止となったのだった。
今は路線バスなどを運行する会社として、旭川電氣軌道の名前が残っている。
近寄って車体を見ると、さすがにあちらこちらに疲労した様子が見える。
窓ガラスが割れたのだろう、木で塞がれていたり、全体に塗装も色褪せていた。
夏の猛暑、そして冬の雪など、北海道でも寒暖差が激しく気候の厳しい旭川である...こうなるのは仕方ないかもしれない。
この車両は、鉄道廃止直後の1973(昭和48)年に、旭川市に寄贈されたもので、それ以降、野外で保存されてきた。
鉄道車輛は野外で使われるものではあるけれど、整備しなければ、風雨や日光などにより、たやすく劣化してしまう。
寄贈後50年、今でもこうやってきちんとした姿で保存されているのは、この車両の世話をする方々の努力の賜だろう。
車体には、旭川電氣軌道のマークが今でもきれいについていて、また、車体の情報などもに残っているのだった。
地域の大切な歴史を、こうやってきちんとした姿で保存する姿勢は尊敬に値すると思う。
ぐるりと電車を見て回る...奇を衒うことのない、オーソドックスなデザインが好ましい。
緑一色の穏やかな姿は、きっと郊外電車として地域に馴染んだことだろう。
中学生の頃、鉄道雑誌で旭川電氣軌道のことを知ってから50年近く、やっとこの姿を見ることができた。
こういう電車や乗り物や産業機械なども本来は単独で存在していたものではなく、その時代の技術や雰囲気が色濃く反映されているものだと思うので、こういう残されたものを見ることでそれが作られ使われた時代が背後に立ち上がってくるような気がします。こういうものが姿を消すとまたその時代の記憶そのものも薄れてゆくことになるのでいつまでも残してほしいですね。
by gillman (2024-09-05 10:21)
お久しぶりでした。
北海道にお出かけだったのですね。
ナツパパさんの記事を参考にさせていただき
門司港そして下関へと行ってきました。
by 八犬伝 (2024-09-05 10:29)
gillmanさん。
旭川は広い盆地で、各地域から旭川市までの移動に時間がかかっていました。
東川町から旭川まで、明治時代には3時間程度かかっていたそうで、それが鉄道になり、
1時間以下にまで減ったそうです。
各地域の鉄道敷設の願いはとても強いものだったことが分かります。
そうやって作られた鉄道も、1970年代には地域の交通手段としての役目を終えてしまいました。
でも鉄道は、歴史として確実に存在していら訳で、その記憶を残して行くのは、
地域の歴史を大切にすることととも重なるように思います。
機構の厳しい北海道での保存は大変と思いますが、とてもいい状態で残っていました。
by ナツパパ (2024-09-05 12:14)
八犬伝さん。
ご無沙汰しました。
8月の中旬、余暇を得ることができ、家でのんびりという選択も考えたのですが、
カミさんがちょうど札幌に帰省していたので、それに乗っかって遊びに行きました。
今年の4月にも訪れた札幌そして旭川ですが、旭川のこの車両は昔から訪ねたかったところ、
今回はレンタカーがあったので訪ねることでき、念願がかないました。
下関そして門司への旅拝見しました。
楽しそうで充実した旅、また行きたいなあ、と思います。
by ナツパパ (2024-09-05 12:17)
さすが北海道、旭川、おおらかで広いですね。
50年間も想い続けた電車に出会えた感動が伝わってきました。^^
by よしあき・ギャラリー (2024-09-05 15:58)
北海道はやはりこちらとは違って空が広い感じがします。
今年は北海道も暑い日が続いたようでしたが、如何でしたでしょうか?
念願が叶ってよかったですね。
by kuwachan (2024-09-05 17:37)
この電車は廃止1年前に乗ったり撮ったりできたのは、ラッキーでした。SLブーム真っただ中、そっち目当ての仲間と別行動でしたから当時は変人扱いされたのですが、今写真見ると「行っておいて良かった」と思います。
by Cedar (2024-09-05 18:57)
シンプルなデザイン、素敵ですね~。シックな緑もいいなぁ。
寄贈から50年、ずっと野外に展示されているとは思えないほど、良い保存状態ですね。すばらしいなぁと思います。
by おと (2024-09-05 19:17)
首をながくして待ってました。お帰りなさい。
こういうの保存って難しいんでしょうね。雨曝しだもんね。
塗料も鉄も劣化するわな。
旭川電気軌道のマーク。これいいね。真ん中の「旭」は見てすぐわかる。
その周囲はなんだろうか。レール断面(?)
今は新しいマークになってますね。
by 小肥り (2024-09-05 19:48)
お母様の介護もひと段落された様で何よりです。
モハ1001、私の母が勤めていた頃の日本車輌(東京支店)製。1977年発行の社史に竣工時の写真が載っていました(以下228ページ)
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=310605360
軌道線用とは思えない全長18mの立派な車両、僅か18年で廃車とは勿体無い。冬季は雪除けのカバーが掛けられる様で、野外での保存は大変そうですね。
by gop (2024-09-05 20:19)
新千歳からレンタカーで札幌に寄ることなく旭川だったのですね。
旭山動物園に行き、広い旭山公園もに行ったことがあるのに、この電車の展示は知らなかったです。知ってたら。。小樽鉄道博物館には行きました。綺麗な姿で残ってますね。往時は2両編成か3両編成で走ってたのかしら。旭の字が入ったマーク、紋章みたいでレトロですてきです。
by TaekoLovesParis (2024-09-05 22:33)
今時の電車だと絶対に作らないであろうデザイン。
車もそうですけど、クラッシックは趣がありますね。
by しのぴん (2024-09-05 23:22)
パッと見たら凄く綺麗で塗り替えたりしているのかなと思いましたが、結構色が抜けている部分もありますね。
冬の間はカバーをかけているのかな。
お休みが取れて北海道をドライブ、よかったですね。
by めぎ (2024-09-06 00:24)
旭川電氣軌道と言うのがあったのですね。北海道の鉄道はかなり減ってしまい寂しい感じがします。。。。
by ぼんさん (2024-09-06 06:10)
50年ですか。
時が流れましたね。
役場前の駅表示板。印象に残ります。
by 夏炉冬扇 (2024-09-06 07:34)
よしあき・ギャラリー さん。
わたしなんかも北海道を旅していますが、そのたび北海道は広いなあと思います。
地図で見るとすぐに思えても70kmとかね普通にありますし。
旭川盆地も同様で本と広い景色が続いていて、この時は一面稲の緑が広がっていました。
地球温暖化のせいなのか、北海道は今やコメどころだそうですよ、ビックリです。
この日も暑かったなあ...もうもう車のエアコンは必須でした。
by ナツパパ (2024-09-06 11:13)
kuwachanさん。
はい、ずっと見たかった場所に行くことができて、嬉しい旅行になりました。
もうね、こういうところに、面白がって付き合ってくれるカミさんにも感謝です。
カミさんの父は農業試験場に勤めていて、北海道各地を転勤して動いていました。
旭川にも思い出があるようで、市街地ではない、こういった普通の土地が懐かしいといいます。
北海道、今年は、いや、今年も、かな、暑かったです。
暑いだけじゃなくて雨が多く蒸したりもして、エアコンのない家は苦労したことでしょう。
by ナツパパ (2024-09-06 11:17)
Cedarさん。
以前、Cedarさんのブログ、前の方でしたか拝見していて、旭川電氣軌道の記事を読みました。
現役の時の鉄道は魅力がありました。
わたしも見てみたかった、乗って見たかったです。
旭川電氣軌道は、道路の路肩だったり道の真ん中だったりを走っていたそうで、
こういった大きな本格的な車輛がそういったところを走るのは魅力的な光景でしたでしょう。
東川からの路線では電車が貨物を引いたとも聞きますので、そういったところも見てみたかったですねえ。
by ナツパパ (2024-09-06 11:20)
おとさん。
はい。
とても素敵なデザインの電車だなあ、と思いました。
今はCADを使っての設計で、いろいろ複雑なラインのデザインが多いようにもいます。
それはそれで魅力があるのですけれど、わたしのように以前からの鉄道好きは、
こういったシンプルなデザインの車輛に一層魅力を感じてしまうようですねえ。
屋根もない野外での展示は厳しい条件ですが、それでもこうやってきちんと保存されているのはありがたいです。
by ナツパパ (2024-09-06 11:24)
小肥りさん。
ご無沙汰しました。
鉄道車輛は野外で使うものなので頑丈に作られているのですけれど、でも、
維持管理をきちんとしてこそなので、それが無い保存車両はあっという間に傷みます。
そういった傷んでしまった車両を見るのは鉄道好きの身にはとても辛いこと。
ここの車輛は、保管場所の割にきれいにされていてホッとしました。
旭川電氣軌道の社章はどういう意味なんでしょうねえ...うーん、難解だなあ。
by ナツパパ (2024-09-06 11:28)
gopさん。
日本車両東京支店というと、京浜東北線の蕨駅すぐそばにありましたねえ。
京浜東北線の電車に乗って、工場の様子と作られている車輛を見るのが楽しみでした。
いろいろな車輛が作られていて、鉄道好きの少年(当時)はワクワクしながら車窓を眺めていましたっけ。
お母さまは日本車両にお勤めだったのですね。
gopさんの鉄道好きはお母さまの影響もあるのでしょうか。
記事の1001電車は、旭川電氣軌道では、格段に大きくまた電動のドアなども備えていて、
会社ではエース格の存在だったそうですね。
by ナツパパ (2024-09-06 11:33)
TaekoLovesParisさん。
旭川盆地は一面の平地で、とても広く、その分、各地から旭川市街への移動は大変だったと思います。
その中でも、旭山公園という観光地や、木材集積地で中規模な街の東川からは、
旭川市街へ、もしくは市街からの用事や貨物輸送などが多かったことでしょう。
この旭川電氣軌道は、その要請を受けて作られた鉄道ですので、地域の愛着は
とても大きかったことと思います。
使われていた車輛の保存は、もう一か所にもあって、次回はそこを紹介できたら、と思っているんですよ。
by ナツパパ (2024-09-06 11:38)
しのぴんさん。
たしかにそうですねえ、今ではこういったデザインは作られないだろうなあと思います。
車輛を設計する手法も、CADを使ったりできますし、なにより車体の材料も違っていますし。
でも、ホント仰るとおり、こういったクラシックなデザインは魅力亭に感じられます。
なぜなんでしょうねえ...今まで生きてきて出会ってきた歴史みたいなものが
そう感じさせるのでしょうかねえ。
この車両も完成時は新しさを感じさせるデザインだったと思うのですが、
穏やかな外観は、時代を経てもまだまだ魅力を残しているように思えます。
by ナツパパ (2024-09-06 11:43)
めぎさん。
やはり野外での保存は難しいと思いますねえ。
ひどい場合は数年で塗装も剥げ落ち車体もサビだらけ、といった事例もありますので。
それから比べると、記事の車輛はきちんとした保存がなされているなあ、ともいました。
おそらく、公民館の方か地域の方が、状態を確認したり作業をされて、この車両を
保存していらっしゃるのだろうと思います。
冬は雪の多い北海道、そして旭川ですので、やはり冬季はカバーをかけているのでしょうね。
by ナツパパ (2024-09-06 11:48)
ぼんさん さん。
ほんとそうですね、北海道の私鉄は、前同各地に多く会ったのですが、今やほぼ全滅です。
石炭輸送の私鉄がまず廃止され、あとはモータリゼーションの急速な普及で、
郊外型の私鉄がアウトになってしまいました。
そうこうするうち、JR北海道自体も厳しい経営が続くようになりました。
以前は、都市間連絡は生き残れるか?と楽観していたのですが、高速バスの登場は、
それすらも危うくしています...北海道の鉄道は厳しいです。
by ナツパパ (2024-09-06 11:52)
夏炉冬扇さん。
そうなんです、50年です。
50年前の1970年代は、まだまだ鉄道は元気な時代でした。
それでも、こういった郊外をつなぐ小規模な鉄道はもはや車に太刀打ちできなくなっていました。
国政策自体も、クルマや道路作りを優先させていたように感じますし。
それに抗せず魅力的な鉄道が廃止になり、残念見ること乘ることの叶わなかった鉄道に、
こうやって車両だけでも実物に出会うことができました。
by ナツパパ (2024-09-06 11:58)
お久しぶりです。シンプルなデザインが好きです^^
by ニコニコファイト (2024-09-06 12:26)
今もしっかり管理維持されているんですね。
けど、やはりこれから先のことも考えると、屋内展示とかできないものかと思ってしまいます。
それは難しくとも、駅のホームの屋根みたいな雰囲気で、いくらか雨をしのげそうなものでもあれば。
けど、それはそれで雪の多い北海道だと強度とか難しいのかなあ。
なんにせよ、これからもきれいに保存してもらえると嬉しいですね。
by YAP (2024-09-06 18:35)
東旭川、道路の幅がすごく広々。歩道もゆったりですね。
きっと冬の除雪で、雪山が場所を取るからなんでしょうね。
電車、シンプルな可愛いフォルムですね。
旭川の「旭」の文字を模したシルバーの円いマークもカッコいい。
おでこについたヘッドランプ1つも好きなところです^^。
by Inatimy (2024-09-06 19:58)
ニコニコファイトさん。
ご無沙汰しました。
そうんなんですよねえ、わたしもシンプルなデザインに惹かれます。
好き嫌いは個人的なもの、と思うので、なぜどうして好きなのか?は深く詮索したことはないのですが、
同じように好き、と仰ってくださる方がいて本当にうれしいです。
by ナツパパ (2024-09-07 11:03)
YAPさん。
保存保管というのは、あらゆるものが歳月と自然の影響を受けてしまいます。
日光や風水の影響は思うよりもずっと深いもので、記事の鉄道車両のように、野外で動かすことを
前提にしているものでも、あっという間に劣化し見る影も無くなってしまいます。
そういった保存車両を、わたし何両見てきたことでしょう。
雨風や直射日光を遮るものがあるだけで、保存状態は相当違ってくるのですがねえ。
by ナツパパ (2024-09-07 11:07)
Inatimyさん。
幅の広い道路とゆったりした街並みを見ると、ああ北海道に来たなあ、と実感します。
冒頭の写真は、東旭川市街のメインストリートで、おそらくこの道を、旭川電氣軌道の線路が通り、
保存された車両のように大きな電車が走っていたことでしょう。
一度はそういう光景を見てみたかったなあ、と夢想します。
ブログでお付き合いのあるCedarさんは実際に現役の姿を見ることができたそうで、
ホント羨ましい...嫉妬の炎がめらめらと(笑)
by ナツパパ (2024-09-07 11:11)
50年越しの夢が叶って何よりのご旅行になりましたね。
自然条件の厳しい旭川で雨ざらしの車体を保存して展示する。
関係者各位のご苦労がしのばれますね。
by 向日葵 (2024-09-07 13:10)
自分も旭川に行ったときにこの電車見に行きました!
動物園からの帰り、大通りから少し入ったところですね。
こんな堂々とした電車が路上を走っていたのかと思いました。
by えすぷれそ (2024-09-07 18:28)
綺麗に保存されていますね。
公民館の方がお掃除されているのかしら。
シンプルなデザインが素敵です。
北海道はおおらかで良いですね。
いい時間を過ごされましたね。
by nachic (2024-09-07 21:11)
旭川電氣軌道は、知りませんでした(^_^;)
この車両は東急の昔の青ガエルにも似てるような感じだね。
しかし、北海道は廃線になった所が多くて今は列車の旅もままならないかもね?(;^ω^)
by 英ちゃん (2024-09-08 03:14)
こんにちは
1枚目のお写真、雲、道幅(歩道と路側の広さ)、周辺の家の屋根
思い切り北海道感が伝わってきました
旭川電気軌道の車両、市内電車ではなさそうな重厚な感じが現代にも通用する秀逸なデザインですね
by gardenwalker (2024-09-08 09:44)
向日葵さん。
そうなんです、50年(...と少し前)の中学生だった私は、鉄道雑誌に載った
北海道の私鉄、その最北の路面電車に惹かれたのでした。
鉄道の廃止は1972年、大学に入った年ですので見に行くのは間に合いませんでした。
北海道に行けたのはそれから3年後でしたので、惜しいことしたなあ、という思いが残ります。
今回、保存された車両を実見できただけでも、長年の思いが叶いました。
by ナツパパ (2024-09-08 16:17)
えすぷれそさん。
あ、えすぷれそさんもおいでになったのですね。
そうです、仰るように、大通りから入って、また脇に逸れて、という場所にありました。
なかなか見つからず、街の方に訪ねてようやく行くことができました。
旭川電氣軌道の車輛は、路面電車なのに普通の電車と同じ作りなので、各駅には、
立派なホームがあったそうですねえ。
冒頭の写真の道路を、こういった電車がゴロゴロ走りすぎる光景、見てみたかったです。
by ナツパパ (2024-09-08 16:21)
nachicさん。
鉄道の線路が廃止された後すぐに、この電車は旭川市に寄贈されたようです。
それからずいぶん時間が経ちますが、こうやってきちんと保存されているのは、
東旭川公民館の方や地域の方々が保存そして維持管理の役目をしていらっしゃるのだろうと思います。
地域の歴史をこういう形で残して行く、という姿は立派だなあ、と思います。
旭山公園のような有名な観光施設があるのですから、鉄道を残してもいいのでは?と思いますが、
北海道はじめ1970年代のモータリゼーションの波は大きくそして強かったのですね。
by ナツパパ (2024-09-08 16:27)
英ちゃん さん。
あ、そうですね、緑一色の色合いは、昔の東急に似て好きです。
春~初秋には一面の緑の景色の中、緑色の電車がゴロゴロと道の脇を走って行く姿、
そういう姿を実際見てみたかったなあ、と思います。
廃止から北海道に旅行出来るまで、ほんの2~3年の差だったのが惜しいなあ。
今や北海道の鉄道は一段と厳しい状況ですね。
以前は都市間の連絡は鉄道が有利、と思っていましたけれど、高速道路が整備されて、
特急バスに鉄道は敵わなくなりそうですよ...うーん。
by ナツパパ (2024-09-08 16:31)
gardenwalkerさん。
東旭川の街は、旭川市中心部からJRで二駅離れたところにあるのですが、のんびりしたところでした。
冒頭の写真で、奥に見える青色の看板を右に曲がると、JR石北本線東旭川の駅です。
駅前から続く、街のメインストリートなのですが、なんとなく元気が感じられず、そこが残念ですね。
ただ、街の中には立派な神社があったり大きな病院があったりと、以前に賑わいが
残っているようにも感じられましたねえ。
冒頭の写真に線路が敷かれていて、そこを大きな電車が走っていたのですが、
そういう光景はあまり他では見ることができないもので、実際見てみたかったなあ、と思いますねえ。
by ナツパパ (2024-09-08 16:37)
うろ覚えですが、2~3年前に旭川電氣軌道の路線バスがレストアされた話をきいたことがあります。
一般の観光客には馴染みが薄いのでしょうけれども、思い入れがある人にとっては懐かしさを感じるのではないでしょうか。
by 北海道大好き人間 (2024-09-10 16:27)
1枚目の写真は懐かしい風景です。
都市部から少し離れた街にある閑散とした寂しさ。
東京では考えられないシッカリと幅のある歩道。
街路樹を植えても余力のあるスペース。
車道も歩道も、雪の季節に必要な幅がある。
こういう風景が自分には「ふるさと」を感じさせます。
by tommy88 (2024-09-10 23:26)
奥様のご実家から近いのだったら、もう少し早く
願いが叶えられていたかもしれませんね。
でも「50年」超えの望みが叶ったからこそ、の感動、感激、でも
あったと思います。
奥様も同じように長年思われていること、あるかもしれませんよ?
by 向日葵 (2024-09-12 07:09)
北海道大好き人間 さん。
旭川電氣軌道のバス路線は上川盆地に広がっていて、大雪山の旭岳ロープウェイ前のバス停で、
旭川電氣軌道の看板があった時は驚きました。
今やバス路線も縮小が報じられていますが、なんとか持ちこたえて欲しいです。
鉄道が無くなって代替でバス、それもダメでは公共輸送機関が成り立ちませんので。
by ナツパパ (2024-09-15 13:16)
tommy88さん。
そうですねえ、わたしも自分で写した写真なのになつかしさを感じます。
広くまっすぐな道と、北海道に特徴亭な屋根の家々、都会を離れると、北海道の街並みは、
こういう雰囲気のところが多かったなあ、と思います。
カミさんの実家は札幌の真ん中で都会なのですが、農試の、義父の勤務地を訪ねての旅では、
こういった雰囲気の街が多かったのを思い出しました。
by ナツパパ (2024-09-15 13:20)
向日葵さん。
今回8月になって急に決まった旅行です。
どこに行こうか?となった時、カミさんに訳を話して旭川に寄ることになりました。
彼女が快諾してくれ本当に嬉しかったですねえ。
この日の目的地は帯広市で、旭川経由は大きな回り道なのですが、それでもドライブを愉しめ、
良い一日になりました...が、時間の都合で、美瑛とか富良野を通過したのは残念無念、
またいつか、ということになりました...でも、美瑛や富良野はインバウンドの方多くてつかれそうです。
by ナツパパ (2024-09-15 13:23)
niceをくださいました皆様。
ありがとうございます。
by ナツパパ (2024-09-25 09:15)