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二人の夏物語 [記憶に残っていること]





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 写真上は、おそらく1970年代の北海道小樽市のものである。

 この時代の小樽は、今のような観光客の集まる街ではなく、観光地として名高い小樽運河もまた現役の姿だった。

 上の、運河の東端から撮った写真には、沈んでしまった船があり、また、澱んだ水や堆積した泥が異臭を放っていた。

 とてものこと、今のようなきれいな場所ではなかったのである。




 ...そうではあっても、運河界隈には、北国の港町が醸し出す独特の魅力が漂っていた。

 この時期の、賑わいから取り残されたような小樽の街そして運河の風景はわたしを虜にするのだった。

 写真から、夏の北国小樽の、静かなそしてなんとなく泥臭い雰囲気を感じていただけるだろうか。







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 小樽運河は、小樽港に停泊する船の荷役のために作られた人工のもの。

 運河に沿って倉庫が建てられ、その多くが札幌軟石の石造りだったため、独特の景観を醸し出していた。

 雑然としていながら、現役で働く倉庫と荷役の車の、見世物ではない働く姿が魅力でもあったのである。







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 夏の午後、時が止まったかのような運河界隈を、写真を撮りつつ歩いていた。

 この時はどうしてこんなに空いていたのだろう。

 運河に沿った道には、普段は自動車やトラックが行きかい、人も多かった...のに。






      ◇   ◇   ◇





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 小樽運河のあと、当時まだ現役だった手宮駅に行ったら「義経号」と「静号」が並んで展示されていた。

 どちらも1880(明治13)年より、北海道の鉄道黎明期を担った蒸気機関車である。

 鉄道開設にあたってアメリカで作られた10両のうち8両にはそれぞれ名前が付けられた。




 そのうちの「義経号」と「静号」を会わせましょうという企画なのだろう。

 予期せぬ出会いに興奮して写真を撮り、そして周囲を歩き回った記憶がある。







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 「義経号」と「静号」を会わせる、という企画は、東京で1回、北海道で3回、の計4回行われている。

 北海道では、1968年、1980年、そして2002年...どうやらわたしは1980年の行事に出会ったらしい。

 してみると、これまでの小樽街歩きは、1970年代ではなく、1980年のことだったのか...記憶が曖昧になっているなあ。







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 このときは、展示されている会場に人がほとんどいなかった。

 今、こういった企画を催したら、連日見物の皆さんで大賑わいだろう。

 なぜこんなにガラガラだったのか?...催しの期間が長く終りの方に行ったからか、それとも平日だったからか。

 心ゆくまで展示を愉しめたのでよかったのだが、今もって不思議である。







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 メインの会場で華々しく展示されている「義経号」と「静号」の奥、機関庫にはもう一台、明治生まれの機関車が置かれていた。

 鉄道開設から15年ほどたって作られた機関車で、30号車とある...名前はついていない。

 それゆえ、この時にも車庫の奥でひっそりと過ごしていたのだろう。




 しかし...注目していただきたいのは、銘板の「手宮工場製造」と「明治28年4月」の文字。

 開設当初アメリカから輸入せざるを得なかった蒸気機関車を、たった15年後にはもう自力で作っていたのだ。

 明治の先人たちの努力と意欲に感嘆を禁じ得ない。







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 「静号」の傍らには、この機関車の性能や大きさを表す看板が立っていた。

 この時は、おそらくメモ代わりに写真に撮ったものだろうと思う。

 「義経号」も「静号」も、きれいに整備されていた記憶はあるのだが、さてどんな色だったのか...すっかり忘れていた。

 なにしろモノクロ写真ばかりだったので。




 この時から20数年後、小樽の「鉄道記念館」に、息子と訪れたら、館内に「静号」が展示されていた。

 その時撮った写真で、ああこういう色だったのか、が分かった。

 もうこのときはデジタルカメラだったっけなあ...なのでカラー写真も写せたのだろう。    

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お散歩爺

小樽運河も時代の変化と共に変れば変るものですね。
数年前に私もここに行きました、昔の様子が伝わってきます。
by お散歩爺 (2023-06-06 10:19) 

バク・ハリー

貴重なお写真拝見しました。「義経号」と「静号」なんてネーミングもおしゃれ。今見ても美しいデザインですね。
私は小樽に、1990年前後に伺いましたが、お寿司が美味しかったことしか覚えてないミーハーです。当然「鉄道記念館」のことも知りませんでした。今なら立ち寄ってみたいです。
by バク・ハリー (2023-06-06 10:57) 

ナツパパ

お散歩爺さん。
小樽の街は運河をどうするかで、長い間揉めました。
結局、運河を半分残して、残りの道を拡幅し、渋滞も減ったのは、市当局の英断でした。
観光資源としての運河も確保でき、今の観光都市小樽になりましたし。
ですがその分、運河付近の雰囲気も大きく変わってしまい、それを知る人間としてはいささか残念です。
でも、小樽にとっては、今の方がいいのだと思いますねえ。
by ナツパパ (2023-06-06 11:09) 

ナツパパ

バク・ハリーさん。
明治初年、内地の幌内炭鉱から小樽まで鉄道が敷かれたとき、アメリカから蒸気機関車を輸入しました。
その時に、発注者が、北海道に所縁のある名前を付けたのだそうですね。
ほかにも「弁慶号」などもあって、今でも関西で保管展示されています。
小樽はお寿司が美味しいですよね、わたしも訪れるとお寿司屋さんに行きます。
昨今はどの店も大賑わいで、時に行列を覚悟しなければならず、そこがちょっと。
去年は行けた小樽そして北海道...今年はさて、どうなりますやら。
by ナツパパ (2023-06-06 11:12) 

小肥り

これらの写真はナツパパさんが撮られたんですね。すごいな。
「義経号」と「静号」を会わせよう・・・なかなか、粋なはからいですね。
僕はどこかでこれらの機関車と同じ形の機関車を見た覚えがある。
どこだったか覚えてないが「弁慶号」と書いてあったような気がする。
これらの機関車は今も日本のどこかにあるんでしょうね。
転車台もあったんですね。
背景の山の上に鉄塔が立ってますね。どこだろう。
20年ほど前小樽に行ったけど裕次郎博物館しか行ってないなあ。
by 小肥り (2023-06-06 11:14) 

musselwhite

こんにちは

昔の小樽の海沿いは、ゴム工場や肥料用魚カス加工工場などが有り、とても長時間滞在出来る街ではありませんでした。
私も今の姿になる前に何度か水族館へ行く途中寄った事が有りましたが臭いました(笑)
祖父の仕事の関係で数年過ごした事が有ると言って居ましたが、何度となく臭いの事が出て居ました。
by musselwhite (2023-06-06 12:00) 

ナツパパ

小肥りさん。
北海道の鉄道が国鉄に編入され、記事の機関車は7100型という名前になりました。
その後現役を離れてから改造されたようですが、何台かは残り、そのご修復されて各地に展示されています。
小肥りさんからのコメントのうち、「弁慶号」は大宮の鉄道博物館、「静号」は小樽の小樽市総合博物館に、
そして「義経号」は、以前は大阪環状線西九条駅にあった「交通科学博物館」で展示されていて、
今は、京都梅小路の蒸気機関車館にいます。
それぞれ幸福な後世を送っていると思います。

by ナツパパ (2023-06-06 13:04) 

ナツパパ

musselwhiteさん。
そうでしたね、たしかに臭いがきつかったですね、特に夏場。
運河沿いには各種の工場があって、それも小規模の工場だったため、臭いが出てしまうのでしょう。
写真を見ているときは思い出さなかったのですが、musselwhiteさんからのお話で思い出しました。
そういう臭いや工場からの油の臭い、そして倉庫のかび臭いような臭い、それらが混じり合って、
あの界隈独特の雰囲気が作られていたように思います。
運河が埋め立てられるまでは、小樽の運河沿いは工場地域で、とてものこと観光地ではなかったですね。
いまとなっては夢のような思い出です。
by ナツパパ (2023-06-06 13:11) 

八犬伝

懐かしい
生きていた運河があった頃の小樽。
同じように、通っていました。
だけど、私はいつも2月・3月だったので
雪が道を覆い
臭かったという印象は、ほとんどないのです。
その代わり、運河周辺の雪は真っ黒で汚かったな。
だから、私の小樽の写真は黒い写真が多いです。
by 八犬伝 (2023-06-06 14:53) 

よしあき・ギャラリー

美しい写真です。
感動しました。
by よしあき・ギャラリー (2023-06-06 17:20) 

めぎ

小樽って、私が子供の頃は、昔栄えた町、というイメージでした。
70年代の終わり頃だったか、ガラスで町おこしを始めて、父の会社のお得意先がカフェを始めたって言って、連れて行かれたことがありましたが、ふーーんそれで?と思ったものです。
そのカフェのガラスの飾りは浮きとか船用のランプで、その雰囲気が瞼に浮かびますが、写真は無いんですよね~残念。
by めぎ (2023-06-06 18:47) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
小学生の頃(1960年代)、毎年叔母夫婦が住む小樽に行きました。
もう半世紀前なので、当時の小樽の街並の記憶がありません。
弁慶(辨慶)号は大宮の鉄道博物館で見ました。
by johncomeback (2023-06-06 19:39) 

夏炉冬扇

炭鉱の町に8年ほど住みました。
閉山後です。
長屋でしたね。
by 夏炉冬扇 (2023-06-06 20:32) 

なかせ

「義経号」と「静号」を会わせよう。って企画が素敵ですね。
華奢に見えますが、重みも感じますね!
一度、見てみたいです!
by なかせ (2023-06-06 20:44) 

gop

二代目セリカ(後期っぽので 1979年〜)が写っているので、それ以降の写真ですね。
高倉健「駅 STATION」が1981年、小樽銭函駅のシーンからでしたね。

> さてどんな色だったのか...なにしろモノクロ写真ばかりだったので。
試しにカラーに変換してみては如何でしょう、カラー写真もあればそれを見本に出来ますし。
色が付くと、より当時の思い出が蘇ります。これも^^ https://987.blog.ss-blog.jp/2023-04-22

by gop (2023-06-06 20:52) 

山子路爺

初めて北海道を訪れたのが1970年頃でした。
小樽も行っているはずなのに、その光景を思い出せません。
写真を拝見してもなお記憶が曖昧です。
歳ですねぇ〜。
by 山子路爺 (2023-06-06 21:02) 

ぼんさん

現在の小樽と言うと観光地と言うイメージが強いですが、1970年代にはこのような光景だったのですね。その当時に戻り訪れて見たくなりました(^_^)
by ぼんさん (2023-06-07 06:11) 

しゅん

とても貴重な写真ですね 感動しました (^▽^)/ 
by しゅん (2023-06-07 07:48) 

YAP

再開発で生まれ変わる街がありますが、それまでの景色を大切に思う人もいますね。
いろいろな考え方がありますが、風情は残していってほしいと思います。
そういう意味では、小樽はいい変化を経てきているのではないでしょうか。
by YAP (2023-06-07 08:10) 

ナツパパ

八犬伝さん。
八犬伝さんのブログで、ちょうど同じころの小樽の街を拝見して、わたしも感銘を受けました。
仰るように、あの時代には、小樽の運河はまだ生きていましたね。
たしかに今のようにきれいではありませんが、作り物ではない景観が、魅力的でした。
わたしは夏冬の休みに出かけることが出来ましたので、夏の小樽も愉しめました。
学生ゆえ、窮屈な旅でしたが、それでも今となっては貴重な思い出です。
by ナツパパ (2023-06-07 09:18) 

ナツパパ

よしあき・ギャラリーさん。
ありがとうございます。
モノクロの写真は今見るととても魅力があるように感じます。
カラーが無い分、写真の中の風景や構図がよりはっきりと浮かび上がってくるのかもしれません。
拙い写真と記事ですが、お楽しみいただけて、わたしも嬉しいです。
by ナツパパ (2023-06-07 09:20) 

ナツパパ

めぎさん。
>小樽って、私が子供の頃は、昔栄えた町、というイメージでした。
そうでしたね、わたしが小樽を訪ねていたこの時期、たしかにそういう印象の街でした。
古くからの建物が多く残っていて、それは商店街だったり住宅街だったり、あちこちにあって、
その風景が、写真を撮り歩く身にから見るととても魅力的でした。
いまのような観光都市から見ると、まるで違う街のように感じます。
でも、どちらが好きか?と問われると...個人的には、記事の中の小樽なんですよねえ。
by ナツパパ (2023-06-07 09:24) 

ナツパパ

johncomebackさん。
小樽という街は、ここ20年で激変した、というのがわたしの偏見です。
良いほうに、かどうか、は旅行者のわたしが決めることではなく、小樽に住んでいる方が判断すること、
そう思うのですが...街の将来や活気を考えると、いい方向なのだと思います。
昨年、久しぶりに小樽の街を歩いて、街の様子がずいぶん変わったことに驚きました。
それでも、古い小樽はあちこちに残っていて、それを愉しむことが出来ましたっけ。
小樽の魅力は運河以外にも沢山ある、というのもまたわたしの偏見です(笑)
by ナツパパ (2023-06-07 09:29) 

ナツパパ

夏炉冬扇さん。
北海道には多くの炭鉱があって、戦後はまだまだ元気なところでしたね。
それが1960年代になって、でしょうか、エネルギー変革があって、炭鉱は一気に衰退して、
炭鉱の周りの街もまた衰退していったのは、寂しいことでした。
若い頃北海道をドライブしていて、赤平や芦別、夕張といった街が、一気に寂しくなっていったのが、
それまで元気だった街を少しでも知っている身には遣る瀬無い感じがしました。
by ナツパパ (2023-06-07 09:36) 

ナツパパ

なかせさん。
蒸気機関車としては小振りなのですが、車体の前に頑丈な牛除けをつけていたりしていて、
それはカウ・キャッチャーという名前で、いかにもアメリカ生まれのスタイルですね。
幌内炭鉱で採れた石炭を小樽の港まで運び、国内また諸外国に輸送するための鉄道でした。
なので、旅客輸送はさほどの本数は無かったようですが、でも駅で列車を待っていて、
今日の機関車は「義経号」か、昨日は「弁慶号」だったな、なんて楽しそうですね。
by ナツパパ (2023-06-07 09:42) 

ナツパパ

gopさん。
あ、車種でも判断できるのですね...これは証拠になりますね、さすがです。
この記事の写真は、そうすると、やはり1980年のことだったんですね。
1980年はわたし大学院生で、修士論文で年度初めから頭を抱えていたころなのですが、
それでも北海道なんかに行っちゃっていいご身分ですねえ、なにやってるんだろ(笑)
映画のポスターがモノクロ→カラーの変換だったのですね、驚きました。
カラーに変換、アプリがありそうなので、試してみることにしますね。
by ナツパパ (2023-06-07 09:47) 

ナツパパ

山子路爺さん。
1970年ころの小樽でしたら、記事よりもずっと昔ながらの小樽が残っていたことでしょう。
ただ、運河付近はとても観光地といえる雰囲気ではなく、他にどこか?というと、
おたる水族館とかス天狗山キー場からの眺めくらいではなかったかな、と思います。
いまと比べると、典型的な地方中都市で、観光者への魅力は少なかったかな、と思いますねえ。
ご記憶が曖昧なのも、そういうところがあったからでは?などと思いました。
by ナツパパ (2023-06-07 09:51) 

ナツパパ

ぼんさん さん。
1970年代の小樽は、典型的な地方中都市で、駅前も運河界隈も、観光客への魅力は少なかったです。
駅前の三角市場だったり、川の上の妙見市場だったりはとても魅力的なところでしたが、
当時はまだ、北一硝子も小さな店でしたし、見どころというと古い街並みくらいでしたでしょうか。
ただ、わたしにはその街並みがとても魅力的で、写真を撮って歩くのが楽しみでした。
記事の写真に共感してくださりありがとうございます。
同じような魅力を感じていただけて、とても嬉しいです。
by ナツパパ (2023-06-07 09:55) 

ナツパパ

しゅんさん。
ありがとうございます。
いまではもう記憶と写真の中にのみ残る小樽の街並みです。
学生のみで北海道への旅行は金銭的にも負担でしたが、この時に旅行できてよかったと思います。
手持ちのフィルムを、半年かけてデジタルに変換できまして、ときおりその写真を見返しています。
この記事も、そうしてみているときに思いつきました。
by ナツパパ (2023-06-07 09:57) 

ナツパパ

YAPさん。
>そういう意味では、小樽はいい変化を経てきているのではないでしょうか。
わたしもそう思います。
小樽の街の真ん中を国道5号線が通っていて、交通量の増加から、バイパスの増設が急務となりました。
小樽運河をつぶして広い道にするか、残して他にバイパスを作るか、町を二分するような論争になりましたが、
結局、運河を半分残しての解決が、小樽に新しい観光という資源を作り出しました。
街の目玉、核のようなところが出来とてもよかったと思います。
以前の運河のから見ると、魅力は1/10とわたしには見えますが、それでも残ってよかったです。
by ナツパパ (2023-06-07 10:03) 

テリー

小樽もどんどん変わっているんですね。
1970年代に、北海道に行っているはずだから、小樽も行っていると思いますが、記憶が全くない。

by テリー (2023-06-07 18:12) 

ナツパパ

テリーさん。
そうなんです、小樽の街はここ20年くらいで劇的に変わったように感じます。
観光地としての小樽が多くの旅行者から認知されて、それで、多くの人が来るようになり、
その結果、観光客向けの店も増えました。
それまでは、地味な雰囲気の街だったように思いますが、今やあちこちに見どころも増えました。
わたしは個人的には、昔の地味な街が好きなのですが、それはすでに記憶の中だけのものになってしまいました。
by ナツパパ (2023-06-07 20:50) 

kuwachan

このお写真を拝見すると今の小樽とは別の場所のようですが
当時の雰囲気が今も残されているのがよくわかります。
今はすっかりと綺麗になり観光地として変貌を遂げましたね。
by kuwachan (2023-06-07 20:52) 

TaekoLovesParis

これが昔の小樽なんですね。私は倉庫群がリニューアルして北一ガラスが観光名所になってから、初めて行ったので、綺麗になる前はこうだったのね、食い入るように見ました。札幌に住んでいた時、内地から人が来ると車で案内するのは、いつも小樽でした。運河と日銀小樽支店の建物、最後にお寿司屋さん。パリに住んでる友達もパリから来てくれました。
手宮の鉄道博物館、私が撮った写真、しずか号はカラーです。ぴっかぴかに磨いてありました。義経号と会わせる、粋な企画でしたね。弁慶号は秋葉原時代、子供のころからの馴染み。大宮へも行きました。義経は上のコメントで読みましたが、現在、梅小路なんですね。炭鉱の歴史、興味があるので、三笠ジオパークの炭鉱時代の線路を使ったトロッコ列車に乗りたいです。
by TaekoLovesParis (2023-06-07 21:30) 

みち

現役の小樽運河を見てみたかったです。
倉庫の建物が並んでいる姿も良いですね。
乗用車の形が昭和ですね。
by みち (2023-06-08 16:42) 

向日葵

白黒で撮られた小樽の昔の(?)街並みが素敵ですね。
この昔の小樽は、ナツパパさんが実際に撮られた小樽なんですね?
10年あったら街並み何てガラリと変わってしまいますもの。
ましてや1970年代、なんて・・!!
貴重な記録写真になりましたね。
by 向日葵 (2023-06-08 20:13) 

gardenwalker

こんばんは
板張りの壁の家に、写っている車はほぼセダン
私の子供の頃の写真の背景がこんな感じでした
初めて小樽を訪れたのは90年代でしたから
お写真の風景とは違ってました
明治時代の機関車ですか、今では珍しいですけど
70年代は明治29年生まれの祖母が存命でした
それだけ年月が経っているのですねぇ
by gardenwalker (2023-06-08 21:07) 

おと

白黒のお写真、素敵ですね~。
小樽って、こういう街だったのですね。
1970年後半、両親の転勤で札幌に3年ほど住んでいたのですが、小樽に連れて行ってもらったかどうか、記憶がありません。
by おと (2023-06-09 05:13) 

ナツパパ

kuwachanさん。
そうですね、この頃の小樽と現在の小樽、まるで別の街に感じます。
都市は再生し続ける、という建築家の言葉をふと思い出しました。
小樽も再生しいい方向になった、と思います。
観光が主体の街になり、今でも活気があるのがいいなあ、と思いますねえ。
by ナツパパ (2023-06-09 09:16) 

ナツパパ

TaekoLovesParisさん。
古くからの街並みが残る場所は魅力的と思いますが、記事の中の小樽の街が今残っていて、
それが魅力的か?というと疑問符が浮かびます。
1970年代の終わりには、工場や港の荷役などの小樽はすでに盛期を過ぎていました。
国道のバイパス問題などもあり、運河周辺がリニュウアルされたのは、当初は寂しい思いもしましたが、
その後、少しずつ変化しきれいになった小樽の街はよかったのでは、と思いますねえ。
by ナツパパ (2023-06-09 09:20) 

ナツパパ

みちさん。
現役の頃の小樽運河は、まさしく働く場所でした。
船から倉庫までの荷役船が行き交ったり、倉庫前ではトラックが荷積みしていたり。
そういう雰囲気の街並みを歩くのは、作り物ではない良さがありました。
観光、という見地からは地味な場所のように思えますが、わたしにはとても魅力がありました。
この頃、足しげく小樽に通って、街の雰囲気を感じたり、写真を撮ったりできてよかったです。
by ナツパパ (2023-06-09 09:25) 

ナツパパ

向日葵さん。
そうです、わたしが撮った写真で、ちょっと画面が荒れてしまっていますね。
この頃は、フィルムカメラにモノクロフィルムを入れて、が旅行中の定番でした。
他のカメラにポジフィルム(スライドになるやつですね)、を入れてもいましたが、フィルムも高く、
ここで、というところにしか使えなかったのは、今思い返すと残念です。
カラーで小樽の街並みを撮っていたら、また別の小樽を感じることが出来たかもしれません。
でも、不思議なもので、記事の写真を見ると、その頃の街の様子とか音とか、が蘇ります。
by ナツパパ (2023-06-09 09:29) 

ナツパパ

gardenwalkerさん。
そうですね、たしかにSUVといったクルマは全然写っていませんね。
たしかににこの頃は、自家用車でしたらセダン、商用車だったらバンでしたものね。
いまはもうセダンよりもSUVが多く見られますし、車を使う環境も変わってきているのですね。
わが家も、子どもが生まれるまではカローラのセダンでしたが、その後はミニバンばかりです。
わたし、もうすぐ70になるので、次に買い替える車が最後かな?と思うので、
この際本当に欲しい車を、と思うのですが、これがなかなか決められず、先延ばし状態ですよ。
そのうち年齢でアウト、にならなきゃいいがなあ、と思ったりします(笑)
by ナツパパ (2023-06-09 09:34) 

ナツパパ

おとさん。皆さんからのコメントを拝見して、札幌にお仕事関係でお住まいだった、
という方が意外に多いのに少し驚いています。
やはり、北海道というと札幌に支店がある会社が多いのでしょうね。
札幌の街はそこだけで魅力があり、また周囲にもいくつもの観光地がありますから、
記事の時期の小樽というと、それほどの見どころがあった、とは思えないんですよねえ。
なので、おいでになったとしても、例えば、余市付近まで海水浴に行った行き帰りとか、
ニセコや洞爺湖に行く途中とか、そういう時に小樽の寄られたかもしれませんね。
by ナツパパ (2023-06-09 09:39) 

ぼんぼちぼちぼち

SL、カッコいいでやすね!
モノクロ写真が、イメージにぴったりだと思いやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2023-06-15 10:28) 

tommy88

1970年代、それは高度経済成長の汚物、街は、川も運河も見るからに汚らしい物でした。水質の浄化すら発想になく、白く泡の洗剤が流れ込んで鳥の羽の脂分を溶かし、水鳥が溺れる新聞写真もありました。汚かった。今振り返るとこれが日本かと思えますが、1960年代の写真になると、どこのアジアの後進国かと思える写真です。思えば遠くに来たもんだと、思います。小樽運河、観光用に整備された物の方が好きです。セーヌ川のほとりも、日本より圧倒的に現在は汚く、やはり美しく、それが人工的であっても整備されている方が好きです。氾濫に悩まされるより、そこは人工的であってイイかな。

by tommy88 (2023-06-16 06:57) 

ナツパパ

ぼんぼちぼちぼちさん。
SLは独特の姿と、動いているときの力強さがいいなあと思います。
あの姿は、ディーゼルや電機の機関車では伝わりませんものねえ。
展示のSLは機関車としては小振りのものなのですが、それでも緻密な動力機構が素敵でした。
明治初年では輸入でしか入手できなかったSLが25年後には国産出来た、というのも明治のすごさですね。
by ナツパパ (2023-06-16 09:46) 

ナツパパ

tommy88さん。
たしかにそうでしたね。
わたしが子どもの頃、というと1960年代ですが、総武線に乗って隅田川を渡る時の、
あのなんとも言えない臭い、どぶのような異臭は今でも鮮明に覚えています。
すこし年代を下っても、例えば多摩川の汚れはなんともすごかったですね。
それから比べると、今は本当に水もきれいで景観も整備されました。
この間の営々とした努力は称えられるべきですし、それをこれからも続けていかなければ、と思います。
...ただね、写真で見ると、記事の小樽が懐かしく、また愛おしく思えるんですよねえ。
青春の思い出?...ちょっとばかりこっ恥ずかしいですが、そんな思いもします。
by ナツパパ (2023-06-16 09:51) 

ナツパパ

niceをくださいました皆様。
ありがとうございます。
by ナツパパ (2023-06-25 09:16)