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昔々冬の小樽で [記憶に残っていること]





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 冒頭の写真は昔々、そう、1970年代中葉の北海道・小樽市の運河であります。

 その頃はまだ、小樽運河周辺は荷役倉庫が立ち並ぶ地域で、写真の倉庫もまだ現役なのだった。

 そして運河に浮かぶ漁船や北海道警察の監視船、荷役船もまた現役で忙しく働いていた。




 冬の小樽は雪が多く、また天気も変わりやすい。

 カメラを手に小樽の街を歩いていると、晴れたかと思うと強い雪が降ったりして、その目まぐるしさも小樽の特徴だった。

 冒頭の光景は今でも同じように見ることが出来、それは、小樽を代表する景色である。

 その運河沿いの倉庫群は、しかし、一歩裏に回ると、その優美な姿を、働く姿に変えるのだった。







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 倉庫の裏手には、小樽築港駅から貨物線が伸びており、貨車から荷物が倉庫に運ばれているのだった。

 鉄道の線路は、倉庫沿いの場所だけでも2~300㍍くらいあっただろうか。

 そこには30両はくだらない貨車が置かれていて、盛んに荷役する姿はなかなかの迫力だったのである。







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 貨車で運ばれていたのはほとんどが袋詰めの飼料で、人力で倉庫内や横付けされたトラックに運ばれていた。

 貨車一両分をすっかり運び出すのにどれだけの人出と手間がかかるのだろう。

 物流の変化はこの時代すでに顕著なものになっていた...この方式が長続きできそうにないことは明らかだった。




 実際、小樽でわたしが見たこの景色は、翌年または翌々年にはトラック輸送に代わってしまい、線路も撤去された。

 最晩年の鉄道輸送の光景を見ることが出来、一人の鉄道好きとして、いい機会に小樽を旅することが出来た、と思うばかりである。







      ◇   ◇   ◇





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 倉庫付近で写真を撮って、この日は小樽の駅周辺や繁華街にも足を延ばしていたようだ。

 写真上は、冒頭の写真を撮った橋から小樽駅方面を撮ったもの。

 片側2車線の道は、当時は広く立派に感じられたが、今見るといかにも狭い。

 現在の、小樽駅から運河に至る駅前通りから比べると、道幅のほかにも、建物や街の雰囲気に、隔世の感がある。







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 最後は、小樽の繁華街を過ぎ去る電車を。

 小樽の駅前すぐに「都通り」アーケードがあり、そこが1970年代頃は小樽の繁華街だった。

 長く広いアーケードの終点、角の「丸井今井」のところで、繁華街の道は鍵の手に曲がり、さらに店が続いていた。

 その道にはアーケードは無かったものの、商店が立ち並んで賑やかなところ、その上を高架で鉄道が走っていく。




 そろそろ東京に帰らなきゃなあ...と、鉄道を撮っていてそう思ったことを、今でも覚えている。

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八犬伝

懐かしいです。
ありがとうございます。
あの頃の運河は生きていました。
仰られるように、沢山の船が行きかっていました。
私が訪れていたのは、1978年から81年
その頃は、もう手宮線の貨物は廃れトラック輸送となっていました。
調べてみたら、1985年まで走ってはいたようですが。
by 八犬伝 (2022-02-13 12:22) 

caveruna

小樽、いつか行ってみたいです!
カメラを携えて歩いた記憶は、
いつまでも忘れないものですね…
by caveruna (2022-02-13 12:32) 

お散歩爺

冬の小樽は運河も道路も深い雪で大変ですね。
爺も雪の小樽に行ったことありますが、見学も大変でした。
by お散歩爺 (2022-02-13 12:56) 

ナツパパ

caverunaさん。
そうなんですよねえ。
もう2年ほど前になりますが、手持ちのモノクロフィルムをスキャンしてデジタル化したことがあり、
その時あらためて画像を見ましたら、その時まですっかり忘れていたことが、
鮮明に思い出されたことには驚きました。
人の記憶って忘れていたように見えても、実はどこかに残っているものなのかもしれませんねえ。
by ナツパパ (2022-02-13 13:41) 

ナツパパ

八犬伝さん。
八犬伝さんもこの時期の小樽においでになっていたのですね。
今の、観光に向けられた小樽の街とは真逆の雰囲気が、この運河界隈にありましたよね。
わたしは、そういう街の雰囲気が好きで、この頃夏冬と小樽に行ってました。
いまとなっては、写真の中だけに残る、わたしの好きな小樽の街並みです。
by ナツパパ (2022-02-13 13:41) 

ナツパパ

お散歩爺さん。
そうなんですよねえ、冬の小樽は雪が多くて、街歩きにずいぶん苦労しましたっけ。
海が近いこともあって、天気も変わりやすく、晴れたと思ったら吹雪、になることもあり、
でも、そういう日々を送っていると、慣れてしまって、ああ小樽だなあ、と逆に思ってしまうくらいでした。
今冬はとりわけ雪の多い北海道ですので、小樽の方々は苦労なさっているのでは、と心配です。
by ナツパパ (2022-02-13 13:44) 

hanamura

あぁ、そう!そう!港から、こんな雪のなか歩いて、駅の方まで、
お寿司屋さんに、行ったッケなぁ~。お寿司美味しかった。
ロシアか?ソ連か?凄い船が自動車と自転車を積んでいたッケなぁ。
おまかせで、凄いネタが出てビビったけど安かったなぁ。
by hanamura (2022-02-13 14:27) 

英ちゃん

小樽運河も昔は貨物線があったのですね。
しかし、冬は雪も多くて貨車からの荷卸しも大変だったでしょうね(^_^;)
by 英ちゃん (2022-02-13 15:02) 

ゆうのすけ

私は行ったことのない街ですが 雰囲気が伝わってきますね。
私のルーツは 江差(北海道)にまでさかのぼるんですが いつかは
訪ねてみてはいけないなと思う北海道なのでした。
最後の画像・・・
>そろそろ東京に帰らなきゃなあ...。
その心の中の気持ちが すごく伝わってくるような雰囲気ですね。
道の真ん中でカメラを構えている とても大事な瞬間をシャッターと
共に焼き付けているみたいです!しみじみ~っ。^^v
by ゆうのすけ (2022-02-13 15:10) 

ma2ma2

小樽は手宮線がありましたね。
今は線路が少しだけ残っていますね。
by ma2ma2 (2022-02-13 15:20) 

小肥り

20数年前、生まれて初めて北海道旅行。夏。
札幌のホテルに宿泊。小樽に行った。
石原裕次郎記念館に行ったことだけ覚えてる。
スポーツカーが展示してあったなあ。
帰りは函館に一泊。朝市の海鮮丼が美味でした。
by 小肥り (2022-02-13 16:05) 

ナツパパ

hanamuraさん。
小樽というと今はお菓子屋さんが有名ですけれど、以前は寿司屋が有名でしたっけね。
「寿司屋通り」だったかな、そういう道があって、そこに店のあるお寿司屋さんはけっこう高くて...
この写真を撮った頃は大学生で、そういう店にはとても行けず、でも、寿司を食べたくて、
町をふらついて、普通のお寿司屋さんに行きましたっけ。
美味しかったなあ、ネタが新鮮だったからかな、値段もリーズナブルだったのを覚えています。
by ナツパパ (2022-02-13 16:12) 

ナツパパ

英ちゃん さん。
小樽は北海道日本海側では大きな港でしたので、荷役の量も大きかったのでしょう。
埠頭や倉庫の脇に鉄道の線路が伸びていました。
わたしが訪れていたころには、もうだいぶ線路も少なくなっていたようですが、
それでも規模の大きな輸送はまだ鉄道に頼っていた時代だったのですね。
倉庫の搬入口付近には貨車が多く置かれ、盛んに荷役をしていて活気がありました。
by ナツパパ (2022-02-13 16:14) 

ナツパパ

ゆうのすけさん。
小樽に行っていたのは主に大学生の頃でした。
春夏冬と長い休みがあるので暇はたっぷりとあったのですけれど、なにせお金が...
そこを何とかひねり出して小樽と札幌に計5泊~6泊くらいして街を歩いていました。
だんだん資金も乏しくなり、そろそろ帰らなきゃなあ、となった頃合いの写真ですね。
でもそうやって旅行できてよかったと思います。
今ではもう見ることもできない風景が残りましたので。
by ナツパパ (2022-02-13 16:21) 

ナツパパ

ma2ma2さん。
そうですね、記事の頃には手宮線は現役で、さすがに客扱いは無くなっていましたが、
それでも、南小樽駅から分かれる手宮線を貨物列車が走っていましたよ。
手宮駅で荷積み荷おろしをしている量も多く、駅周辺も活気があったように覚えています。
その頃からずいぶん時間が経って、手宮駅の跡地は博物館になったりダメになったり、と忙しく、
駅の周りもなんか元気がなくなったようで、ちょっと寂しいですねえ。
by ナツパパ (2022-02-13 16:26) 

ナツパパ

小肥りさん。
小樽は、記事の頃まではまだまだ現役の港湾都市でした。
なので、荷役の船や倉庫が活発に働いていて、とくに運河周辺は観光といったものは見当たらず、
わたしはそういった雰囲気が好きで、運河周辺を歩き回っていましたっけ。
その後、運河を半分埋め立てて観光地として整備したのは、小樽市の慧眼であったように思います。
それでも、観光にも栄枯盛衰があるようで、小肥りさんのお出でになった石原裕次郎記念館は
たしか閉館になったと聞きましたっけ。
今は、中国や台湾、韓国からの観光客もなく、厳しいところだろうと思います。
by ナツパパ (2022-02-13 16:28) 

TaekoLovesParis

今年の札幌は類まれな大雪とのこと。そして東京も今、みぞれ、夜には雪の予報。庭にまだ2日前の雪が残っているのに。
昼間はTVで、オリンピックスキー男子大回転を見ていました。頭の中が雪でいっぱいの今日、ナツパパさんの記事も雪。私が小樽に行ったのは84年なので、もう運河は観光用に整備され、倉庫を改造した北一ガラスの店が一番人気でした。店の中に小樽の歴史を紹介している写真コーナーがあり、そこの写真を見て、「小樽築港」という駅名の由来がわかりました。「鉄道博物館」も良かったです。ラッセル車の展示は迫力がありました。「にしん御殿」もあったし、昔は札幌より港・小樽のほうが栄えていたので、日銀も支店が札幌でなく小樽、しかも重厚なギリシア風の建物。日本郵船の建物と共にに小樽の過去の繁栄を知りました。
向こうに見えている低い山は天狗山かしら。スキーにも行きました。
お寿司もおいしかったです。
小樽は、もう一度、行ってみたい場所です。
by TaekoLovesParis (2022-02-13 18:54) 

YAP

物流の主役は鉄道からトラックに変わりましたが、カーボンニュートラルの観点から、鉄道貨物がまた少し盛り返すのではないかと思っています。
貨車に積まれるほどの量の荷物を出し入れするというのはたしかに重労働ですが、やりようはあるのではないかと思います。
例えば、航空機に積み込む乗客の荷物のコンテナのオペレーションとかヒントになりそうな気が。
by YAP (2022-02-13 19:01) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
コロナが落ち着いたら是非「東北」にいらして下さい。
僕が小学生の頃(1960年代後半)に叔父・叔母がすんでいた
小樽に毎年遊びに行きました。半世紀前なので記憶が曖昧ですが、
とにかく雪深いっていうイメージでした。僕が当時住んでた伊達市は
太平洋沿岸なので北海道でも雪が少なかったです。
by johncomeback (2022-02-13 20:01) 

北海道大好き人間

小樽運河の風景は、当時も今も変わらないと思います。
廃止された線路は手宮線ですが、線路跡がほぼそのまま残されており、今では散策路になっています。
本来であれば、今の時期には「小樽雪あかりの路」というイベントが開かれ、幻想的な雰囲気なるのですけれども。


by 北海道大好き人間 (2022-02-13 21:01) 

kuwachan

小樽運河が現役だっただった頃の風景
モノクロがいい雰囲気を醸し出していますね。
実際雪が降っているとモノクロのように見えます。
倉庫と線路が直結していたのですね。
昔は工場にも線路が入り込んでいるところが多かったですよね。
再開発される前の豊洲でも見ました。

by kuwachan (2022-02-13 21:43) 

めぎ

運河のところって、昔はお洒落とは無縁でしたよね。
70年代は私はまだ子どもでしたが、途中から小樽がガラスで頑張りだし、お洒落なカフェとかができ始めて、はぁ?と思ったことがありました。(それって80年代になってからでしょうか。うろ覚え…)
それが今は北海道を代表する観光地ですものね。
雪の北海道の景色、久々に思い出しました。うーん、私、凄いところに住んでいたなぁ…
by めぎ (2022-02-14 06:16) 

Inatimy

当時を知る貴重な写真ですね。 小樽は行ったことがなくって、
Googleマップのストリートビューで小樽運河の写真と同じ場所を探して見比べて楽しみました^^。
建物は同じだけど、船がないのが寂しく。橋から小樽駅方面の写真は、すっかり風景が違いますね。奥の山の形も微妙に異なってて。
by Inatimy (2022-02-14 07:15) 

ナツパパ

TaekoLovesParisさん。
小樽は、役割を終えた運河地域をどうするか、行政市民などを巻き込んで相当揉めた経緯があります。
運河を全廃して道路にするか、もしくは文化遺産として保存するか、だったように思いますが、
結局両者の折衷案として、運河を半分残し倉庫群も北側を残す、現在の姿になりました。
結果としてそれが良かったことは、観光地としての小樽を見ると、そう思いますねえ。
今は観光客も少なく大変のようですけれど、いずれ復活すると信じますし、そう願っています。
by ナツパパ (2022-02-14 09:09) 

ナツパパ

YAPさん。
日本の鉄道による貨物輸送のネックは線路幅にある、というのがわたしの考えです。
世界の多くの国々に比べ日本の在来線は幅が狭く、それに伴って車両の大きさも小さく規制されています。
その結果、船積みコンテナを鉄道で輸送できません。
せめて新幹線と同じ線路幅で、車両の規格も大きければ、と思うのですが、明治以来のことで、
今更規格や線路幅を変えることはできないでしょう。
いま、トラックドライバーの高齢化などで人手不足が言われていますよね。
鉄道が果たせることはまだあるように、わたしも思います。
by ナツパパ (2022-02-14 09:17) 

ナツパパ

johncomebackさん。
そうですよね、伊達市は北海道の中でも温暖で知られていますので、小樽の雪には驚かれたでしょう。
わたしは記事の頃、伊達紋別から胆振線で奥に入った北湯沢によく行っていました。
伊達の街は雪が少なくて(まあ、北海道では、でしたが)良いところでした。
小樽の街は北側に湾が広がり、南に山を背負っているので、雪が多く降りました。
今冬の豪雪ではどうだったかな?と心配です。
by ナツパパ (2022-02-14 09:19) 

ナツパパ

北海道大好き人間さん。
雪明りの路は、写真などで見ただけなのですけれど、とても素敵な企画ですね。
冬の行事として定着し、大勢の方が集まっているところがいいなあ、と思います。
いつかは、と思うのですが、最近北海道には夏か秋にしか行くことが無く、冬はご無沙汰です。
記事を作るにあたってこの頃の写真を見返したのですが、雪の中元気に歩き回っている様子に、
ああこの頃は元気だったのだなあ、とため息をついています。

by ナツパパ (2022-02-14 09:22) 

ナツパパ

kuwachanさん。
記事の写真は1970年代中頃のもので、小樽での貨物輸送に鉄道が使われた最後の時代、
もうおしまいの寸前に間に合った、と思います。
フィルムカメラでの撮影でしたので枚数も限られていて、今から思うともう少し粘っていろいろな写真を、
と思うのですが、大学生の限られた財布からはこれが精いっぱいだったのでしょう。
それでも、この頃に撮った写真は、わたしにとって大切な宝物のような存在なんですよ。
by ナツパパ (2022-02-14 09:28) 

ナツパパ

めぎさん。
>運河のところって、昔はお洒落とは無縁でしたよね。
ホントそうでしたねえ、工場地帯というか、トラックが行きかう働く場所でした。
そういう場所でしたが、なぜかとても魅力的に感じられ、冬夏と時間とお金がある時には、
やりくりして出かけて小樽を歩き回っていましたっけ。
小樽の街は、運河地域を再生できて、その結果、観光で行こう、行ける、となってから、
良いほうに変わってきたように思います。
ガラス工芸カフェなどなど...今の変化ぶりには正直ついていけない部分もありますけれど、
それでも、街が元気になるのはいいなあ、と思いますねえ。
by ナツパパ (2022-02-14 09:31) 

ナツパパ

Inatimyさん。
記事の頃から45年ですか、小樽の街も相当変わりました。
まず建物ががらりと変わってしまっていますし、道幅も広くなりました。
以前は、小樽の街全体が趣のある建物や街並みが多くて、魅力たっぷりの街に思えました。
それがほとんど新しくきれいになってしまって、それは住んでいる方々には良いことなんですがね、
写真を撮って歩く旅行者には、あれれ、という感じもして、あはは、勝手なものですね。
記事の時代の小樽が感じられる場所は、運河に沿った倉庫とそれに続く工場跡、くらいになりました。
by ナツパパ (2022-02-14 09:34) 

nachic

小樽行ったことないんですよ。以前はこんな風景だったんですね。
美味しい海鮮食べようねとか、それくらいの知識しかなかったけど、
貨物とか工場街とか漁村とか好きだった私には見たかった風景だな〜。
働いている人たちの息遣いが聞こえてきそうな倉庫街ですね。
あの頃から物流も完全に変わってしまいましたね。
by nachic (2022-02-14 12:49) 

ナツパパ

nachicさん。
小樽はいまでこそ観光中心の街ですが、それ以前は道内有数の港湾都市でした。
それで、荷物を保管する倉庫は多く建ち並んで、とくに運河に沿って多くありましたねえ。
その倉庫に荷物を運びこんだり出したりのトラックが多く行きかって、それは活気がありましたっけ。
わたしもそういった街並みを歩くのが好きで、夏冬と、よくもまあというくらい出かけました。
いまとなっては写真の中でしか見ることの出来ない光景ですが、写真を見るとその時のあれこれが蘇ります。
by ナツパパ (2022-02-14 14:47) 

gop

小樽運河、先日「よみがえる新日本紀行」でやってました(昭和五十年放送)
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2022118767SA000/?np_banID=top_nw_m_118767

小樽築港も懐かしい。ガキンチョの頃C62見に行きましたが、人人人でマトモな写真撮れなかった・・
ナツパパさんの写真はC62より貴重かも、極寒地鉄道の厳しさを感じますね。このシリーズ続けて下さい^^

by gop (2022-02-14 16:47) 

やまびこ3

いい記録ですね。国土地理院の過去の写真をみると、70年代までは手宮線とは別の海岸側の埠頭に伸びる線路があるので、こちらではないかと想像してます。70年代末期に手宮線を訪れたときに、馬がワムの入れ替えをしていたのを見つけてびっくりしたのを覚えています。
by やまびこ3 (2022-02-14 23:23) 

おと

小樽、訪れたことがないのですが、倉庫と運河の船、鉄道など、なんとも素敵です。飼料を運ぶ姿、その時の雰囲気がそのまま伝わってきます。今はもうすっかり変わってしまったのですね。もったいない気がしてしまいますが、街のためには仕方ないのでしょうかね。

by おと (2022-02-14 23:28) 

ナツパパ

gopさん。
>小樽運河、先日「よみがえる新日本紀行」でやってました(昭和五十年放送)
拝見しました、懐かしい画像に目が釘付けでした。
この頃までは、小樽は実業の街だったのだろう、と思います。
それ故、港周辺の地域が街のメインであって、活気があり、魅力もありました。
今は観光に力を入れていて、それは街のために良いことなのですが、昔の街が好きでしたので、
どうも、今の小樽を歩いていると違和感ばかりが先行して、そんな自分に閉口します。
by ナツパパ (2022-02-15 09:01) 

ナツパパ

やまびこ3さん。
>70年代末期に手宮線を訪れたときに、馬がワムの入れ替えをしていたのを見つけてびっくりしたのを覚えています。
それはすごい光景をご覧になりましたねえ、ビックリです。
わたしが小樽を歩いていたこの頃、手宮線はまだ現役でした。
さすがに客扱いはしていなかったのですが、手宮駅など荷役のため貨車の動きも多く、
見ていて飽きなかったです。
その頃の手宮は、小樽駅からさほど離れてはいなかったのに、全く別の街で、
そのことにも驚いた覚えがありますよ。
by ナツパパ (2022-02-15 09:03) 

ナツパパ

おとさん。
小樽の街は、観光に力を入れ、それで成功したと思います。
札幌に近いことも良かったですね、日帰りで観光できる場所として旅行の日程に入りますので。
今は旅行者も少なく苦戦しているだろうなあ、と思いますが、なんとか頑張ってほしいですねえ。
...小樽も運河も、行きたいなあ...昨秋北海道に行ったときは、旭川に行くことを優先してしまい、
小樽に行けず残念なことをしました...次回、があれば、その時はぜひ!
by ナツパパ (2022-02-15 09:06) 

gardenwalker

こんばんは
私が初めて小樽に行ったのは確か90年前後でしたが
北一硝子とかこじゃれた土産屋とかが既に出来てました
写真に写っている車やお店の看板などとても懐かしい気がしました
自分が子供の頃の写真と同じような風景です
by gardenwalker (2022-02-15 22:50) 

ナツパパ

gardenwalkerさん。
おはようございます。
記事の題は「昔々...」とつけましたが、1970年代はわたしにとっては、ついこの前のように思われ...
でも、もう45年も前の話になるのだなあ、と気づいて愕然としましたねえ。
1970年代、「北一硝子」は国道沿いの地味な木造の店で、でも旅行者には人気の店になっていました。
わたしも街歩きの途中によって店の雰囲気と品物を愉しみましたっけ。
その当時の小樽の面影はほとんどなくなってしまいましたが、それでも、小樽の街あちらこちらに
残された当時の雰囲気を感じることがあります。
by ナツパパ (2022-02-16 09:29) 

Tommy

ナツパパ様、いつも拝読していますが、初めてコメントさせて頂きます。
小樽に関する写真と文章、とても感慨深いものがありました。有難うございました。
私はもう50過ぎのおじさんですが、母の実家が小樽で、私も同市内で産まれました。すぐに東京に引っ越したものの、子供の頃は度々遊びに行っておりましたので、昔の駅前の賑わいなどは記憶に残っています。
しかし親戚もいなくなって、久しく足が遠のいており、3年前に家族を連れて遊びに行きましたが、北海道の他の都市と同様、かなり寂れておりました。観光が主産業になっているため、このコロナで特に大変そうです。これ以上足が遠のく前に、また訪れたい思っています。
それではナツパパ様も、どうぞご自愛ください。
by Tommy (2022-02-21 02:34) 

ナツパパ

Tommyさん。
コメントありがとうございます。
Tommyさんは小樽のお生まれなのですね、そして以前の小樽もご存じ方から、嬉しいコメントです。
仰るように、小樽の街は最近寂しくなってきたなあ、とわたしも感じます。
札幌から日帰りできる観光地ゆえ、運河や堺町通り界隈には人が多かったのですが、
そこ以外、駅前やアーケード街など、観光地から少し離れると寂しさが顕著のように感じられました。
わたしも以前の小樽の賑やかさが戻ってくることを願っているのですけれど、
どうも悲観的になってしまう自分がいて、いかんなあ、と思ったりもします。
小樽の写真が多くあって、続けられたらもう少し、と思っておりますので、よろしければご覧くださいね。
by ナツパパ (2022-02-22 09:20) 

kyon

走っている車が古いデザインですね。
小樽は何度か旅行しましたが、北一硝子のカフェが好きです。
by kyon (2022-02-27 15:38) 

みち

貴重なお写真ですね。
数年前に小樽に行きましたが随分と雰囲気が違います。
線路跡を歩いた記憶がありますが、貨物線の名残なのですね。
by みち (2022-03-03 23:20) 

ナツパパ

kyonさん。
お返事が大変遅くなってしまいました。
昔に撮った写真で感じられる一番の変化は、やはり車になりますね。
きっとその時には普通の車と風景なのでしょうが、今から見ると違和感があります。
それと人の服装でしょうか...とくにご婦人の服装や髪型にも時代の流れを感じます。
きっと今の写真も、二十年三十年後には同じように違和感が出るのでしょうね。
by ナツパパ (2022-03-12 11:06) 

ナツパパ

みちさん。
記事の頃の小樽は、まだ工場や倉庫が現役で活躍する街でした。
観光で訪れる方も増えていたのですけれど、今と比べて、ほんの一部にすぎませんでした。
運河界隈を歩くと、今のような異国情緒という感じではなく、働く街、という印象でしたっけ。
でも、その雰囲気が好きで、この頃は折を見て小樽に通っていたように思います。
観光が主流の小樽も活気があって良いのですが、活気のあるところがほんの一部、
そういう街の様子に危機感を覚えます。
by ナツパパ (2022-03-12 11:10) 

ナツパパ

niceをくださいました皆様。
ありがとうございます。
by ナツパパ (2022-03-20 09:00)