息子のこと [子ども]
息子は1993(平成5)年8月25日生まれで、今年20歳になる。
親から見ればあっという間の20年...当人にとっては、さて、どうなのだろう。
今から20年前の午後、いよいよ産まれそうですよ、と病院から電話があり、掛かっていた仕事をうっちゃって、
それっと車で駆け付けたときのことは、未だに鮮明である。
今ならば、産室で一緒に、という例も多いのだろうが、その頃は分娩室の廊下で待つ、のが一般的だったように思う。
待つことしばしで、彼が産まれ、ほら元気な男の子ですよ、と看護師さんが見せて下さり...
...と、まあ、これは子供を持った親なら、皆さん体験することだろう。
そんなことがあって20年、今年の誕生日、8月25日は、奇しくも日曜日となった。
それで、この日は家族皆でお祝いをしなくちゃね、ともう何ヶ月も前から話していたのである。
わたしたち夫婦にとって初めての子どもであると同時に、両親にとっても初孫となった息子なので、
その誕生を、殊に父が大喜びし、お宮参りは、父の信仰する「富岡八幡宮」でおこなったのだった。
そう、それから「七五三」のお詣りも。
それで、父は、息子が二十歳になったときには、「首に縄を付けても」富岡八幡宮にお詣りをさせるのだ、と言った。
そのことを、わたしたち夫婦も、そして息子も、それはそれは楽しみにしていたのに...
そこで、8月25日は、父の遺志どおり、母、わたしたち夫婦、そして息子とで「富岡八幡宮」にお詣りしたのだった。
...あ、おそらくは、どこかで父も一緒に。
本殿の受付で、この子が二十歳になったので祈祷を受けたい、と申し出た。
20年前にはお宮参り、15年前は七五三、そして5年前と2年前には受験合格の祈願も...重なるご縁が有り難い。
...で、お誕生日はいつなのです...じつは今日なんです...あ、それは、おめでとうございます...
...それではこちらに...と、渡された用紙に書き込む息子を後ろからパチリ...
...185㌢か、大きくなったなあ...もう青年の身体だ。
無事ご祈祷を済ませ、お札をいただいた。
通過儀礼とは違うだろうが、親の庇護が必要な時期を無事終えることが出来たんだなあ、という思いが湧き出す。
息子の持つお札を見て、母もわたしたちも、なんとなくホッとした...おそらく父も。
◇ ◇ ◇
お詣りを済ませ、さて、どこかでご飯を食べよう、ということになった。
こういうとき、わたしたち一家で行くのは、日本橋か銀座、と決まっている。
今回は銀座で、食事と少しばかりショッピングを愉しもう、ということになったのだった。
この20日間、母も妻も葬儀やその後片付けなどで大変だったので、気分転換も必要だろうし。
銀座通りにあるビルの地下、そこに和食の店があって、家族みなが好きである。
その店に行くと、時分時を過ぎていたせいか、わたしたちは待つこともなく店内に案内された。
母と妻は和食のコースを、わたしと息子は炭火焼きロース肉のセット。
どちらもたっぷりとした量で、食べ盛りの息子も満足そうだ。
息子が産まれたときのこと、それから20年間のあれこれ...ゆっくりと食事をしながら話題が尽きない。
それでも、話は次第に父のことになっていくのは仕方がないことかもしれない。
お父さんがここにいてくれたらどれだけ喜ぶかしら...と母。
爺ちゃんは一緒に行こうな、と言ってたのになあ...と息子もいう。
それぞれが、そうやって静かに家族のことを話し合うのは、初めてかもしれない。
父の死と息子の成人と...別離と独り立ちが一緒になった2013年8月は、忘れられない月になるだろう。
そして、その8月はまだ終わっていないのだ...長いなあ。
みなさまへ
父の入院、そして死、と哀しい出来事が立て続けに起こった8月です。
それに追われる日々が一段落し、今日は息子の誕生日でした。
二十歳になる息子は、その記念の日を哀しみの中で迎えなければならず、それは親としても寂しいことでした。
でも、彼は、父の死を見、体験することで、一回り大人になったように感じます。
試練は、時に人を成長させるものなのでしょう。
今回は、息子の独り立ち、そして明日に向かう出来事を記事にでき、嬉しいことでした。
ただ、未だ、コメントにお返事出来そうもなく、今回もnice&コメント覧を閉じることにしました。
9月になりましたら、また、いつものスタイルで、ブログを始めたい、と思っております。
その節はまた、旧に変わらぬご交誼を、どうぞよろしくお願いいたします。
今回の写真は、父の残したCanon S110で撮りました。
その写真があまりによく写っているので驚いています。 2013.8 ナツパパ 拝